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[ 2002 ]
03/07 03/08 03/11 03/12 03/13 03/14 03/15 03/16 03/17
03/18 03/19 03/20 03/21 03/22 03/23 03/24 03/25 後日談
! 2002年3月7日(木)
友達:お、事務室に成績取りに行こうぜ。
松岡:おお、そういやそうか、忘れてた。
つうか行く気なかった。
友達:卒業かどうか確認せなあかんしな。
松岡:オレ落ちてたら、マジ泣きするで(笑)。
友達:っはっはっは。
(ガチャっと事務室のドアを開ける)
松岡:すいません、成績表を。
事務:はいはい。(と、事務員登場)
事務:ん?
松岡:なんか成績表に付箋貼ってるんですけど。
事務:…ちょっと待ってね。
(ほとばしる緊張感)
事務:はあはあ、なるほど分かった。
松岡:え、何がすか、何がすか(ドキドキ)。
事務:これがこの単位でしょ、これがこの単位でしょ。
松岡:え、な、何やってんすか?
事務:ここね、8単位なんですよ。
松岡:分かってますけど。
事務:6単位しかないよ。
松岡:は!?
事務:このね、「外国大学科目」はここには入らないんですよ。
松岡:え、え、ええ!?
事務:パシフィック大学に留学されたんですよね?
君の場合「外国大学科目」の中の
「言語」科目扱いになりますから。
ここの欄には単位として加えられないんです。
(しーん)
松岡:え、つまり、留年しろってことですか?
事務:…まあ、そういうことになりますね、
単位が足りてないですし。
(しーん)
松岡:い、いや、あり得ないっしょ。
事務:…。
松岡:だってほら、この般教(一般教養。
略してパンキョウ。という単位のジャンル)
のとこにも「外国大学科目」って書いて…。
事務:だからね、ここは「言語」じゃないの。
松岡:同じでしょ?
事務:いえ、違います。
松岡:そんなん、初耳ですけど。
事務:君だけ知らないなんてことはないです。
松岡:いや、初めて聞きましたけど。
事務:…。
松岡:ていうか、百歩譲ってそうだとしても、単位表には
「外国大学科目」としか書いてないじゃないですか。
こっちはOK、こっちはダメなんて、
分かるわけないっすよ。
事務:と、言われましても。
松岡:じゃあ何で事前に知らせてくれないんですか、
卒業危ないって。
事務:まあ、色んな生徒さんがいらっしゃいますからねえ。
松岡:事前アナウンスしてくれるのが事務室の仕事でしょ?
そもそも僕、履修登録の前に、事務員の方と単位数
一緒に数えたんですよ?
事務:じゃあ君の数え方が間違ってたんじゃないですか。
(しーん)
松岡:事務室って、学生とケンカするところですか。
事務:そうは言いませんが。
松岡:なんですか、僕から学費をせしめたいんですかアナタは。
事務:そういうわけじゃないですよ。
松岡:じゃあ、学生のために動くのが仕事でしょ、
事務室って何なんすか。
事務:こういうのは自己責任ですから。
松岡:なんでやねん!
表記が間違ってんねんから、非を認めろや!
事務:いや認める認めないじゃなくて。
松岡:ええか、仮に「言語」扱いするって
アナウンスを聞いていて、オレが忘れてたとしよ。
けど、アンタの言う自己責任の拠り所である単位表が、
どっちも同じく「外国大学科目」としか
書いてなかったら、そら学生も混乱するやろ。
現に混乱させられとんねんオレは。非を認めろよ!
事務:確かに表記は同じですね。
松岡:じゃあ間違いを認めるんやな。
事務:いや、間違いとかそういうんじゃなく、
同じ、ということだけです。
松岡:そっちの非を認めるんやな。
事務:いやですから…。
松岡:んがああああああああ!!!(と髪をかく松岡)
事務:…。
松岡:あのな、アンタがオレの立場やってみ?
おかしいやろ?腹立つやろ?
オレな、3年の後期から授業取ってへんねん。
んでわざと留年して、
何で2単位でまた留年せなあかんねん。
オレの立場で考えてみいや。
事務:そういうのにはお答えできません。
松岡:ああ!?
(このお役所仕事め!っと言うのを必死でこらえる)
事務:…。
松岡:別に感情論に訴えるわけじゃないけどよ。
事務:まあ何度も言います通り…
松岡:いや、だからぁ…
(30分、エンドレスで言い合い、睨み合い)
松岡:つうかオレ、帰らないすよ。
(すでに営業時刻を回っている)
事務:いや、それは困ります。
松岡:帰ったら認めたことになるじゃないすか、留年を。
ここに寝泊まりしてでも、絶対認めないすよ。
事務:いや、それは…。
(しーん)
松岡:もうええ、こういうの誰に言うたらええねん。
学部長出せや。
事務:いや、そういうのは出来ません。
松岡:んじゃ上の奴出せや。
事務:そう言われましても。
(事務員、若手事務員と耳元でヒソヒソ話)
事務:今ね、ちょっと会う予定のお客さんが来てて、
代理の者を連れて来るからちょっと待ってね。
松岡:…。(目からビーム)
(10分後、同じ事務員登場)
事務:…。
松岡:…。(なんでまたコイツが。つうか何か言えよ)
(部屋を出ていた友達3人、応援に登場)
事務:じゃあ、分かりました。
主任のK先生とお話してください。
松岡:…はあ。
友達:そうしとけって。
(事務員とこれ以上話してもムダやぞ)
松岡:…じゃあ、分かりました。よろしくお願いします。
事務:ではスケジュールの調整を…。
▲
! 2002年3月8日(金)
事務:どうぞこちらへ。
(と言って昨日の職員《年配&若手》に案内される。
K先生と1対1で話せるんじゃないの?)
(K先生《女性》、登場)
松岡:あ、今日は貴重な時間を割いていただき、
ありがとうございます。
先生:いえいえ。
(4人全員、腰掛ける)
先生:えっと、昨日の件を少しお伺いしましたが、
とにかく規則は規則なんで、
あなたが卒業できないのは確定なんですが。
松岡:っ。
先生:とにかくね、あ、じゃあ、先に言い分を聞きましょうか。
松岡:はい。…この単位表にですね、
本来別個のものであるという
「外国大学科目」が同じ名前で表記されている。
だから僕としては、こちらの単位で換算していた。
そしたら「言語」の科目としてしか扱わない、
というのを昨日初めて聞きました。
それで今回、混乱いたしました。
先生:え、いつ知ったの?
松岡:昨日ですよ昨日。知らなかったらこのまま卒業式で…。
とにかく、学生の自己責任と昨日言われましたけど、
これだけで判断しろと言われても、いかがなものかと。
先生:それなんですけどね、
あなたが留学先で学んだのは語学でしょう?
松岡:はぁ。
先生:だったら「言語」に入るのは分かるでしょう?
松岡:いえ、分かりません。
先生:そう?
松岡:だって同じ名前の科目が
他の所にも表記してあるんですから。
先生:いやあ、分かるでしょう。
松岡:そもそも「言語」とそれ以外の存在があるなんて、
知りようがありません。同じ「外国大学科目」なのに。
先生:そうかなあ。
松岡:それにね、昨日、留学友達に聞いたんですよ。
そしたら誰一人、そのことを知りませんでした。
先生:あら、ほんとう。
松岡:しかもですよ、私は般教に入れたという
同じ社学の女性もいるんですよ、電話で聞いたんですが。
事務:他の単位でカバーできてたんじゃないですか。
松岡:いや、そらそうかもしれないですけど…
制度が変わったんじゃないんですか?
事務:それはあり得ないです。
松岡:って、いうか…
事務:それなんですけどね、こんな資料があるんですよ。
(と事務員が留学プログラムの案内小冊子を取り出す)
事務:ここにね、こう書いてあるんですよ。
言った言わないの世界で
終わっているのならあれなんですが、
ここにちゃんと書いてあるんです。
---
留学前にもらったであろう小冊子の巻末には、
こう書かれていた。
3.単位認定
研修で修得した科目を学部によっては、
教授会の議を経て
必修以外の英語の単位として
認定されることがあります
---
松岡:は、なんですか、この曖昧な表現は。
「学部によっては」
「されることがあります」って(苦笑)。
もしかして、これだけで判断しろと?
事務:ええ、書いてありますからねえ、
「英語」の単位として認定すると。
松岡:いや、そんなん分かるわけないですよ。
大体この説明を受けていたとしても、
大学1年の5月ですよ。
成績のシステムも何も分からないまま、
この2行だけで判断しろというのは
あまりにも酷じゃないですか?
その後のアナウンスは
あって然るべきじゃないんですか?
事務:でも2年3年と経ったらだんだん分かるでしょ?
松岡:はぁ?
事務:あなたこの横の用紙にサインをしましたよね。
留学しますという申請書に。
ここにサインをしたということは、書かれていること
すべてを了承したということなんです。
松岡:はぁ。
事務:世の中は契約社会なんですから。
松岡:…(ブチブチ)。
事務:あなたはね、ここにサインをされ…
松岡:はーいはい、分かりました(お前は黙れ)。
だとしてもですよ先生、留学を終えたあと、
ウチにこんな紙が送られてきたんです。
(といって持参した紙を取り出す)
松岡:ここにBとかA-とかありますよね。
これ、向こうの大学の成績表なんです。
向こうの大学は丁寧に郵送してくれたのに、
なぜ関学は「言語の単位としか扱いません」
みたいなアナウンスがないんですか?
なんで留学に関する成績表を
関学からいただけないんですか?
そもそも僕が留学を単位認定されたと判断できたのは、
この成績表のみですよ。
この紙と単位表に「外国大学科目」としか
書かれていないんですから、
実はその中でもジャンル分けされてる、なんて、
学生は何をどう判断すればいいんですか。
なんでそんなに不親切なんですか。
先生:でも語学を学んだんだから分かるでしょう?
松岡:い、いやいや(苦笑)。
事務:あなたね、こういう紙があって、サインをされ…
松岡:ああああ、あいあいあい(頼む、黙ってくれ)。
先生:でもねえ、規則は規則だからねぇ。
松岡:いや、規則ってよりよくしていくものでしょ?
事務:あのね、そういうのは無理なんです。
松岡:…(カチン)。
なぜですか、なぜあなたは
そこまで学生と壁を作るんですか。
なんで僕とケンカしようとするんですか。
僕はね、あなたの昨日の態度から思うんですけど、
学生と事務員の距離がありすぎじゃないですか?
事務員って、学生の唯一の窓口でしょ?
あなたとコミュニケーションできないですもん。
なんでこんなに距離があるんですか?
なんで学生の言っていることを汲まないんですか?
学生相手の仕事でしょ?
一体、なんなんですか?
(しーん)
松岡:もう、ぶっちゃけて言いますけど、
学生の側で職員への不満が大きいです。
例えば、ある人は「この科目は主専攻に入る」
ある人は「この科目は副専攻に入る」って
人によって言ってることが違うって話を
昨日友達から聞きました。
卒業できるか不安でしょうがなかったって。
事務:そりゃ「これは主専攻ですか」と学生が聞けば、
そこに(その科目が)書いてあったら「はい」と言うし、
「これは副専攻ですか」と聞かれたら
「はい」と言います。
質問にはちゃんと答えますよ。
松岡:ていうか、なんでそんなに不親切なんですか。
危険性がある可能性をなぜ指摘しないんですか。
僕もね、それで不安だから
事務員の方に相談したわけですよ。
で、君は卒業OKって言われたんです。
だったら卒業できると思うでしょ。
先生:そうなの?(と事務員に振る)
事務:だからそれはね、君が勝手にそうやって換算して
単位表にマークしていたんなら、
それに対してOKと言いますよこちらは。
松岡:ていうか、なんでもっとシステム化しないんですか。
なんでこの学生はこの単位が抜けてる、
とか指摘できないんですか。
先生:その成績を見ながら単位表を見ていったの?
事務:いや、彼がもともとマークしていたんですよ。
松岡:(お前、証拠もないのに言うな)
すいません、そこは記憶が曖昧なんです。
事務員の方と一緒にマークしながら見ていったのか、
それとも僕が事前にマークしていたのか。
事務:もともと書いてあったんですよ。
先生:成績と一緒には見ないの?
事務:基本的に我々はそういうことはしないんです。
だからそんな事実はありません。
(コイツ殴っていいですか)
松岡:…今回ね、僕、思うんですよ。
今回、僕が卒業させていただけるというのは、
悪しき前例にはならないと思うんです。
事務:いや、悪しき前例ですよね(失笑)。
松岡:(無視)
今回のケースはね、学生と事務員の距離を縮める、
絶好のチャンスだと思うんです!
…僕は関学が大好きなんです。
だから、今回の件で、前に進みましょうよ。
先生:いやね、過去にも規則が変わったケースはあるんですよ。
もうね、何度も何度もいろいろあってねえ。
松岡:じゃあ今回も変えてください。
先生:ん〜。
松岡:今まで変わったことがあるのなら、
今回変わらないのはおかしいじゃないですか。
先生:ん〜でもね、今が最高の規則なんです。
(笑ってもいいですか)
松岡:あのね、規則は上昇させてなんぼでしょ?
立ち止まったらそれは、下降ですよ?
規則規則って一体、何に縛られてるんですか?
なんで僕がそちらのミスで
不利を被らなけりゃならないんですか。
事務:いやミスじゃないです、ここに書いてあるでしょ?
松岡:だから、こんな2行で判断できるかっての。
事務:だって書いてあるでしょ、分かるでしょ。
松岡:(無視)
それにね、卒業が危ない人は
ゼミの先生から通達があるはずなんですよ。
現にウチのゼミ生で一人いたんです、そういう人。
で、僕にはなかった。
そら安心しますよ、卒業できるって。
先生:なに、そんなことしてんの?(と事務員に聞く)
私はうちの生徒にはそんなことしてないけどねえ。
みんな自己責任に任せてるから。
N先生(松岡の担当教授)はどうやって知ったのかしら。
松岡:知らないっすよそんなこと。
先生:う〜ん。
松岡:そもそも通達が行く人、行かない人がいる、という
中途半端さは一体なんなんですか?
おかしいじゃないですか。
事務:基本的にはそういうことはしてないです。
松岡:してるやんけ、現におるっちゅうに!
先生:毎年ね、あなたのような人が120人ぐらいいるんですよ。
松岡:他の人は知りません。
先生:今年はあなた一人だけだっけ、こういうの?
(と事務員に聞く。事務員、無反応)
先生:ふんふん、2000年、2001年と単位を取ってないのね。
(と成績表を見ながら言う)
なんでもっと余分に取っておかなかったの?
他の学生はそうしてるのに。
松岡:それは関係ないでしょう。
定められた単位数を取得すればいいだけの話であって、
他の人は知りませんよ。
そもそもあなた方が不安を煽るから、
そうやって学生が余分に取ろうとするんですよ。
先生:ん〜。
先生:あなた留年してるんですって、なんで?
松岡:就職活動をもう一年したかったからです。
先生:なんでもインターネットの仕事をしてるんですって?
松岡:はあ、それが何か。
先生:いや、いいじゃない、家で仕事ができて。
松岡:は?
先生:いや、就職が決まってたら…
松岡:ちょっと待ってください。
就職が決まっている人は優遇されるんですか?
そんなのおかしくないですか?
先生:いやいや、そういうわけじゃなく。
でも1年留年したんだったら、あと2単位だっけ?
あと半年頑張ってもらって…。
6年も7年も留年される人はいるし…。
松岡:ちょ、ちょっと何言ってんすか。
これ以上留年なんてできないっすよ。
先生:ん〜どして?
松岡:まず経済的な理由がありますし。
…親にも言えないですよ。
先生:ん〜。
松岡:とにかく、僕は卒業したいんです。
お願いします!(といって頭を下げる)
先生:私はね、私はあなたの味方よ。
だから何とかしてあげたいんだけど…。
松岡:そこをお願いしますよ。
先生:規則だからねえ。
松岡:…あのね、もうちょっと
視野を広げて考えてみてください。
みなさんが僕の立場だったら、どう思います?
今回のケースを防げますか?
先生:ん〜ちょっと気の毒だとは思うけど。
松岡:でしょでしょ? そうでしょ?
事務:でもここに書いてありますから。
松岡:(無視)
事務:ここにね、あなたはサインをしたわけですよね?
インターネットの仕事をしてたら分かるでしょう、
契約というものがいかに大切か。
松岡:は、はぁ? 1年生で働いてるかっちゅうねん。
(コイツ何とかしてくれよ)
松岡:あのね、先生。今回のケースは稀だと思うんです。
留学の単位が絡んでますし。
今までこういうケースってなかったでしょ?
ということは、僕はそのミスの発見者ですよ。
事務:ミスって君ねえ。
松岡:今後起こりうるかもしれない、後輩たちの抗議を
僕がこうして言ったことで防げるわけですよ?
僕は貴重な存在なんですよ?
そんな僕を切るんですか?
事務:切るって君ねえ。
松岡:それを何ですか、この2行で判断しろって、
成績システムに関して頭が真っ白だった1年生に
行間を読めって言うんですか?
先生:いやあ行間っていうかねぇ。
松岡:あまりにひどくないですか?
先生:でもね、前例がないから…。
松岡:前例がないって、
初めから前例のあるものなんてないですよ!
おかしいでしょ、明らかにそちらのミスじゃないですか!
事務:君ねえ。
先生:でもね、仮に認めたとしても、
制度が変わるのは来年以降よ。
あなたは、あなたが入学した時点での
規則が適用されるんですから。
松岡:、という規則も変えて行きましょうよ。
事務:いやいやそれは(苦笑)。
松岡:じゃあ何ですか、大学のミスを指摘したこの僕が、
踏み台になるってことですか?
事務:君ね、踏み台とかそういうのじゃなく。
松岡:踏み台じゃないすか、明らかに。
なんで次の学生たちに適用されて、
僕には適用されないんですか。
おかしいじゃないですか。
先生:だったらそういうのを事前に投稿していただいたら、
こちらとしても、ねえ…。
松岡:はぁ?
先生:とにかく規則がねえ。
松岡:そんなのおかしいですよ。
先生:でも、…社会ってそういうものだから。
(オレはここで何をやってるんだろう)
松岡:…あなたどう思います?
こうやって同じに書いてたら分かんないでしょ?
(と若手事務員に振る)
若手:…あなたね、さっきから色々おっしゃってますけど、
こうして現に「英語の単位として認定する」と
書いてある紙があるわけですから、
これを飛ばして議論されてもですね。
松岡:いや、だからぁ(ダメだコイツも)。
若手:それにね、この単位表は複雑なカリキュラムを
分かりやすく書いたものなんですよ。
松岡:っ、ちょっと待ってください。
カリキュラムが複雑だって認めるんですね?
だったら問題が起こるのは自明のことじゃないですか。
なんでそういうのを事前に通告しないんですか。
だいたい、その親切(笑)な表に、誤りがあるんですよ!
先生:いや、それは誤りじゃないよ…。
松岡:いや、明らかに間違いじゃないですか、
違うものを同じように書いて。
先生:ちゃんと線で区切られてるでしょ、こことここ。
松岡:だから、表記が同じでしょ、もう何回も何回も…。
(しーん)
松岡:ていうかね、なんであなた方はそんな
重箱の隅を突くようなことをするんですか?
事務:いや、重箱の隅って…。
松岡:はっきり言ってこんなのねえ、誇大広告、じゃないや、
虚偽広告と一緒ですよ!
広告の下のほうに実は小さく書いてた、みたいな。
おいおい、ちゃうやんけ!みたいな。
事務:君ね、誇大広告と言うのは…(云々かんぬん)
で虚偽広告と言うのは…(云々かんぬん)
松岡:(無視)
なんなんですか、その姿勢はなんなんですか?
もっと学生に歩み寄ってくださいよ。
(しーん)
松岡:先生、お願いします!
先生:…でもね、こんど教授会ってのがあって…。
事務:その前に執行部の会議と大学院の会議があります。
先生:うんうん、そう、そこで議題にかけてみてもいいけど。
松岡:みてもいいけどっていうか(苦笑)、
現に訴えてる学生がいるんですよ。
事務:一縷(る)の望みがあるんならあれですけど…。
松岡:え、先生って主任なんですよね?
権限があるからこうして
この場に来ていただいてるんですよね。
先生:いや、私には権限はないですよ。
教授会でみんなの賛成をもらわないと。
松岡:はぁ?
先生:ん〜。
松岡:な、なんなんすか。
全然僕の話を取り合おうとしないじゃないですか。
さっきから僕と全然会話できてないじゃないですか。
先生:いやあ、現にこうして足を運んでるじゃない。
松岡:ああ、それはありがとうございます。(と頭を下げる)
先生:ん〜どうかなあ。
じゃあね、今度の議題にかけるから、それでいいですか?
でもみんな反対すると思うけどねえ。
松岡:…卒業できる保証をしてもらえますか。
先生:いや、それはできないわよ。
松岡:僕はK先生に全霊をかけるんですよ。
先生:ええ、ええ(苦笑)。
松岡:先生に託してもいいんですか?
僕が教授会に出席して、
生の声で伝えたらダメなんですか?
事務:いや、それはできません。
松岡:じゃあ、それまで教授一人一人に僕が直接話します。
先生:ん〜してくれてもいいけど、ねぇ?
松岡:お願いしますよ、先生。
先生:ん〜。
松岡:じゃあ、僕と契約してください。
あなたを卒業させますって。
先生:ん〜(苦笑)。
(しーん)
松岡:じゃあ、分かりました。(声を抑えて)
2単位分、今からレポート書きます。
それでいいですか?
先生:いやあ、それは無理でしょう。
だいたい、どの授業のレポート書くの?
もう終わってるしねえ。(事務員うなずく)
松岡:先生の授業のレポート書きますよ。
先生:私、今学期は専門科目しか授業してないですよ。
松岡:じゃあ、他の先生のレポート書きます。
先生:できるぅ、そんなの?(と事務員に振るも無反応)
松岡:…じゃあ、卒論、もひとつ書きます。
先生:いやあ、別に書いてくれてもいいけど、
もう卒論書いたでしょ?
松岡:もう一本書きますよ。
先生:ん〜。
松岡:…じゃあ、今回の顛末をレポートします。
先生:いや、それは別に個人的に書いてくれてもいいけど。
(しーん)
松岡:お願いします!(頭を下げる)
(しーん)
先生:とにかく、教授会の議題にかけてみますから。
松岡:え、その前に執行部のとかあるんですよねえ。
だったらその都度連絡もらえませんか。
その時点でやばそうだったら…。
先生:ん〜。
事務:…。
先生:じゃあ、連絡先を書いてもらえますか。
松岡:はい。
(と、紙に電話番号を書き留める)
先生:じゃあ、そういうことで、いいですか?
松岡:…。(ちょっと泣けてきた)
先生:いいですか。
松岡:…はい、よろしくお願いします。
(全員、立ちあがる)
(先に部屋を出るよう、促される)
松岡:今日はどうもありがとうございました。
3人:いいえ。
---
「世の中は契約社会なんですから」
「今が最高の規則なんです」
「社会ってそういうものだから」
「就職が決まってたら…」
刃物のように光る言葉が脳裏をかすめ、
考えているのか考えていないのか
よく分からない精神状態に陥った。
どこに向かって歩いているかも分からない、
そんな感覚は初めてだった。
! 2002年3月11日(月)
ゼミの担当教授N先生は、協力的。
朝から学部事務室に行っていただき、
「社会学部はこうであると
明文化された証拠はなかった」
と電話で伝えてくださった。
よし、勝機あり。
僕は僕で、朝から学校を走りまわった。
まずは国際交流課。
モロに留学を扱うピンポイントの部署。
ちょうど友人が職員として勤務しており、
有益なアドバイスをもらえると思ったのだ。
「すいません、職員のMさんはいらっしゃいますか」
「ああ、彼なら家の事情で退職されましたよ」
勝利の女神はいないのか。
仕方なく、
「あなたは、あなたが入学した時点での
規則が適用されるんですから」
という言葉に対向すべく、
入学年度(1997年)の証拠探しに動いた。
まずは教務課。
97年度の大学要覧(学生の手引き)を
奥からわざわざ出してもらう。
「なんでまた97年の?」
「ええ、いま留学に関する単位で
大学とモメてるんです。
確かめたいことがあって…」
「ああ、じゃあ、どうぞ(苦笑)」
厚さ2cmの冊子に目を通す。
留学単位の認定に関するページを見つけ、
明確な定義が書かれていないことを確認する。
「すいません、こことここ、コピーお願いできますか」
「あのね、基本的にはコピーはしないんですよ」
「…すいません」
さらに履修登録心得という小冊子を求め、
因縁の地、学部事務室へ。
「すいません、97年度の履修心得ありますか」
「あ、はい、これですね」
女性職員が対応。
そのすぐ奥に、
先週の職員(年配)が座っている。
妙にそわそわし、
絶対にこっちを見ない。
不自然にパソコン画面を凝視しながら
首を何度も傾げている。
この冊子にも明確な記述がないことを確認。
再び女性職員に依頼。
「すいません、この見開きコピーしてもらえますか」
「はい、じゃあコピー代10円」
ドアを蹴って帰りました。
ごめんなさい。
! 2002年3月12日(火)
担当教授のN先生より連絡が。
まず、学部長の見解について。
寝耳に水といった感じで、
明言は避けた(避けざるを得なかった)模様。
確かに今回は「初めてのケース」
だと思われる。
とにかく決着は明日。
もうひとつ。
先週金曜日に話を聞いてくださった
K先生が、
「なんとかしたい」
と申し出てくださっている様子。
ありがたや。
N先生とのダブルパンチで、
何とか打破していただきたい。
もう松岡は直接的に抗議する
機会を失っており、
あとは先生任せ、
教授会任せである。
ミッション系の大学なので、
神様がいることを信じるしかない。
もっとチャペルアワーで
賛美歌うたっておくべきだった。
! 2002年3月13日(水)
朝8時半。
ゼミ担当教授N先生に再度お願い。
・留学案内小冊子、該当個所
・成績表(学生用と保護者用)
・留学先大学の成績表
・1997年度大学要覧、該当個所
・1997年度授業科目履修心得、該当個所
それぞれのコピーを提出し、
決戦に備えていただいた。
正午より学部長室会議。
教授会はそのあと4時から、とのこと。
まずは学部長室会議のメンバーであるN先生が、
教授会の議題に乗せるかどうかの判断を
学部長室会議にかけていただいた。
松岡のバイト中(午後2時半)、
N先生より電話が入る。
それによれば、
情状酌量の余地も考慮され、
会議構成メンバー8名のうち
意見が五分五分になったときもあったが、
総合的な判断が下されたとのこと。
「救済措置を取るには至らない」
理由は相変わらず、留学前の
案内小冊子に記載された一文
「研修で修得した科目を学部によっては、
教授会の議を経て必修以外の英語の単位として
認定されることがあります」
のみ。
教授会にすら、話が通らなかった。
直前の学部長室会議で事実上の留年決定。
ここ数日、懸命に動いてくださったN先生に
怒りの矛先を間違えていると思いつつ、
電話で食い下がってみる。
しかしラチが開かず、
学部長との直接交渉を要求。
会えない、教授会に出席できない、のであれば、
たった10分限定でいいから学部長と話がしたい、
とN先生にお願い。
「う〜ん」と言うものの、
N先生は学部長に3度も交渉して下さった。
しかし、いずれも成功せず。
その理由を又聞き。
「判断を変えるつもりはない」
「大学院の会議でそれどころではない」
「10分やそこらで収拾がつく話ではない」
「教授会が終わればいくらでも会うつもり」
との学部長の弁。
最終決定を下す教授会の「前」でなければ
意味がないのに。
こちらは人生かかっているのに、
たった10分と学生から提示したのに、
ひとつも受け入れてもらえず。
時間がないなら事前に取り次いで欲しかった。
事務室にストップをかけられていた。
もう、問題発覚から今日で1週間。
教授会開始のタイムリミットが迫る。
バイトを無断で抜け出して、はや1時間。
相変わらず外で携帯電話を握りしめる松岡。
「ごめん、もっかいかけ直す」
N先生の言葉のあと、
携帯電話がブルブル震えた。
電池を交換してください。
万事休す。
午後6時。
N先生とともに協力体制で臨んでくださった
教務主任のK先生から電話。
「力及ばず申し訳ない」と
しきりに頭を下げられる。
「2時間討論したけれど、期待に沿えませんでした」
本当に悔しいけれど、
以前は渋っていたK先生が
一学生のために前向きに動いてくださった事実。
これは本当にありがたい。
午後6時半。
N先生から電話。
もう判定は覆らないものの、
明日、学部長・K先生・N先生の3人で
再び会っていただけることを約束。
できれば保護者も交えてということで、
すぐさま母に電話。
「ほんま、キレそうやわ」
母、会社を休んで出席することに決定。
ちなみにN先生の個人的見解では、
これ以上の解決策は外に出すしかない。
つまり、裁判。
このままだと学校側がいくらか払うぐらいの
判決になるのではないか、
とおっしゃってました。
そこまでするか、できるか、やるべきか。
とにかく明日の話し合い。
てなわけで、
ひとまず残念な結果に終わりました。
N先生、K先生、ご尽力感謝いたします。
そして多くのお友だち、お知り合いの方々。
度重なるご心配とご迷惑をおかけしました。
すいませんでした。
ありがとうございました。
あとちょっとだけ、つづく。
! 2002年3月14日(木)
正午。
母が仕事を休んでやってきた。
午後1時の5者面談
(学部長・N先生・K先生・松岡・松岡母)
に向け、大学へと歩を進める。
約束の時間まで少しあるので、
他学部の事務室に赴いてみた。
まずは経済学部。
「すいません、この外国大学科目について
経済学部での取り扱い方を伺いたいのですが」
「どういうことですか?」
「いえ、社会学部は参加した留学プログラムによって
単位の取り扱い方が違うと言われまして、
それで経済学部の場合はどうなのかなと」
「うちはまず、この単位認定願を提出していただいて、
それに対して[外国大学科目]の言語教育科目
で認定されました、という告知をするんですよ」
若手女性職員の即答、ありがとうございました。
カリキュラムを熟知している、という感触あり。
そのシステムも、単純明瞭。
調子に乗って聞いてみた。
「社会学部の事務室は評判悪いと聞きましたが、
そこんとこどうなんですか(ニヤリ)?」
「い、いやあ、どうなんでしょう」
答えにくい質問に、反省。
次に文学部。
「文学部の場合はどうなるんですか?」
「うちは定められた単位以外は『自由選択科目』として
扱いますんで、単位表にはそもそも書いてないんですよ」
学部は独立国家らしい。
最後に法学部。
「法学部の場合はどうですか?」
「君が参加した留学プログラムは何ですか?
それによっては認定される個所が異なりますよ。
といっても最終的には同じように扱いますが」
「人によって違うということは学生に告知してますか」
「いえ、扱いが同じなので特にそういうことはしてません」
社会学部も最終的な扱いは同じなのだが、
本学部に関しては、単位表の表記が混乱を誘発し、
不親切であるということがそもそもの根源。
法学部の単位表には
「外国大学科目(1〜8)は、
科目により単位認定される系列が異なる」
と、しかと明記されているのだ。
確かに社会学部のメリットは
様々な科目が受講できる点にある。
であるならば、各々に対応する但し書きが必要なはず。
その裏付けとなる文言もない、
相応の姿勢を学生に提示しない、
そんな事務室には落ち度がある。職務怠慢である。
なぜ社会学部は、こんな調子なのだろうか。
午後1時。
事務員に学部長室へ案内される。
白髪の学部長と初対面。
事の経緯をお話くださるが、
塩爺ライクのまったりムードに
呑み込まれそうになる。
学部長の話は終始一貫。
様々な可能性に思索を巡らすも、
やはり留学案内小冊子の一文
「研修で修得した科目を学部によっては、
教授会の議を経て必修以外の英語の単位として
認定されることがあります」
に帰結する、とのこと。
社会学部の明文化された規定は存在せず、
事務室独自の裏成績表を学生に告知せず、
単位表の表記が不親切であったと認めるも、
最後の船着き場は留学案内小冊子。
経済学部は認定の告知をするという話を引き合いに出すも、
社会学部の「語学」研修に関しては
「言語」科目であることが自明であり、
告知の必要はないと判断した(する気あった?)
というのが社会学部の見解。
「言語」以外の単位を修得する可能性のある
長期留学に関しては、単位願を提出させるとのこと。
要は「語学研修」に対する“自明”の見解が
学校側と学生側で真っ二つなのである。
また、卒業危機の学生に対して、
「気付けば通達をする」程度の
事務員のチェック体制について訴えるも、
「今後の参考意見にします」とのこと。
つまり、社会学部の現在は、
不親切さと中途半端な善意に支配されているのである。
とはいえもう、教授会(正確にはその前の段階)
は昨日の話。
今日、いくら訴えたところで
事がどうとなるものではない。
「普段は規則、規則とうるさい教授たちも
なんとかならないものかと意見して、
それだけでもびっくり」(K先生談)
だそうで、救済措置の可能性に
散々時間を費やしていただいた模様。
しかし問題は、10年ほど前に決定した
「以後、単位の読み替えはしない」
という暗黙の了解。
平等性を慮り、
学生個々人のケースは受けつけない、
ということだ。
それと「いちいちやってられない」煩雑さ
にも問題がある。要は構ってられないのだ。
よって今回は、前例のない初めてのケース、
特殊な例であるにも関わらず、
特例は認められないとのこと。
「そこまで規則に縛られる理由はなんですか?
関学のためを思うなら、順番が間違ってませんか?
もうね、僕みたいに『ひとり裁判』してるような
タチの悪い人間は、さっさと卒業させた方がいいですよ。
何をそんなに意固地になってるんですか」
組織のための「規則」が、
「規則」のための「規則」にすりかわる。
これでは話は進まない。
K先生は組織論の専門家。
個人的な見解を拝聴した。
K:もうね、これは官僚制に代表される
「システムの欠陥」なんですよ。
松:欠陥ですよね(苦笑)?
だったら先生、論文書いてるだけじゃなく、
実際の行動に移してくださいよ。
小泉内閣はね、先延ばし先延ばししてるから
批判続出してるでしょ。
気付いたら即実行すべきです。
なんとかしてくださいよ。
K:でもね、改革には痛みが伴うんです。
松:ぼ、僕が痛みですか!?
ともかく今回は、大学側の主張を汲んだとしても、
かなりのグレーゾーンが残った。
最終決議は白黒しなければならないが、
問題そのものに灰色の部分が余りある。
だから、学生だけが不利を被るいわれはない。
「辞書や参考書を発行している出版社なら、
誤植を発見した人に図書券でも配りますよ。
僕は今後も確実に起こるトラブルの種を摘んだのに、
やっぱり踏み台じゃないですか」
「会社と顧客」「お店とお客」
の関係は、
「大学と学生」には当てはまらない。
お金を払う人、払われる人の構図が同じでも、だ。
母も泣き出してしまった。
教授会は終わった、決議は出た、
そちらの主張も百歩譲って認める。
それを踏まえた上で、経済的にも
なんとか救済されないだろうか。
母は切に訴える。
裁判なら和解、あるいは学生側の勝訴である。
と僕は今でも信じている。
再びK先生。
K:経済的な理由で留年が困難なら、
個人的にお金をお貸ししますから。
松:貸してもらっても結局払うのは僕じゃないですか。
親には払わせませんよ。
せめて大学側でカンパとかしてくださいよ。
K:う〜ん。
松:しかもそれだったら、事務員からのカンパがいいです。
事務室に行って、ハンドマイク持って訴えますよ。
赤い羽根でも持っていきますよ。
自分で茶化してしまった。
正直、議論がバカらしくなってきたのだ。
そもそも超法規的措置が欠落し、
第三者機関すら存在しない。
これは、本大学の決定的な“闇”である。
他大学も、そうなのだろうか。
担当教授のN先生。
「この場に学部長らがいないものとして話しますけど、
正直、ホームページに載っている大学との経緯は
面白い。(君の人生において)
いいコンテンツになるような気もします」
もう、前向きになるしかない。
これはチャンスである。
どうせなら学長と直接話がしたい。
なんせ大学組織のトップである。
で、日程さえ合えば、OKとのこと。
K先生の組織論・講義ノートを授かった。
組織の闇を突いてやる。
気分は「ひとり義勇軍」。
学長へのアポ取りは明日。
どうやらこの話、もう少しつづく。
---
追記:
5者面談を終え、国際交流課に足を運んだ。
退職した元職員の友人に連絡してもらえるよう、
こちらの連絡先をお渡ししていたのだ。
松岡:すいません、以前勤めてらしたMさんの件ですが、
あれから連絡ないんです。
ちゃんと連絡していただきましたか。
事務:ええ、メールで連絡しときましたよ。
松岡:まだ連絡ないんですけど。
メールの開封確認はできないんですか?
事務:ここはそういうのできないねえ。
松岡:ていうか普通、電話で本人に連絡取るのが普通でしょ?
言いましたよね、緊急だって。
人生かかってたんですよ、僕は。
なんでメールで済ませてるんですか。
事務:緊急っていってもどれくらい緊急だったのか
伝えてくれないと分からないでしょ。
こっちもバタバタしてたわけだし。
松岡:こっちもバタバタしてましたよ!
事務:だったら同じじゃないですか。
関学は僕が変える。
このままではいけない。
! 2002年3月15日(金)
朝9時半。
学長アポ取りのため、
大学事務課に電話。
しかし担当者につながらず。
正午過ぎ。
バイトの昼休みを利用し、
急いで大学に向かう。
大学事務課に直接足を運び、
担当のTさんに要請。
松岡:学長にお会いできるということで、
日程の調整をしていただきたく…
担当:は? いや、それはムリです。
松岡:え、昨日、社学の事務室から連絡が行ってませんか?
担当:話があったのは伺ってますが、
基本的に学生が学長と会うなどということは
できないとお伝えしているはずです。
昨日の学部長との会談後、
学長の秘書的活動をする部署であろう
大学事務課の連絡先と、
担当者のお名前のメモ書きをいただき、
日程次第で学長と会えるものだと思っていた。
担当:話を聞きましょう。どういう用件ですか?
松岡:はい。今回、単位認定のことで食い違いがあり…
担当:ええ、なんとなく伺ってますが、そういう
話を学長にされても困るんですよ。
それぞれ学部ごとに管轄してますからね。
松岡:もちろんカリキュラムに関しては
学長もご存知ないと思うのですが、
僕はそのひとつ上の話をしたいんです。
担当:というと?
松岡:例えば今回、初めてのケースだったにも関わらず
「単位の読み替えはしない」という規則が
まず初めにバーンとあり、
超法規的な措置すら取られないということで、
規則ってなんだ、組織ってなんだということを
お話させていただきたいなと。
担当:しかしね、基本的にそういうことはしないんです。
松岡:基本じゃない場合は?
担当:学部のことじゃなく、全学的なことの場合で、
松岡:そうそうそうです、全学的なことですよ。
普通、企業だったら、会社にとって重大な
ことがあったとき、社長が出てきますよね。
担当:でもね、学長は社長ではないんでね。
松岡:その違いは何なんですか?
なぜ大学は、学生が学長に会うことができないんですか?
企業と顧客という関係から言って、
その立場の上下は何なんですか?
もちろん教え、教えられる関係というのは
なんと言いますか、そういう雰囲気も大事で、
むしろそれがないと教育は成り立たないと思います。
でも今回のケースは大学の
「システム」に関してですよね。
勉学一切抜きですよね。
一学生が学長に会う。
そんなことは初めてだ、と
Tさんは目を丸くしていたが、
その後は真摯に応対してくださった。
ぶしつけな訪問者であるにも関わらず、だ。
あなたと同じくらいの年齢の息子がおり、
気持ちは十分に分かるが、
組織のためにご理解いただきたい。
学部側から要請があり、
学長が会うと判断した場合に限り
そういうこともあり得る。
基本的にそういうことはお断りしている旨を
学部事務室に伝えてあるはずだが、
食い違いがあって申し訳ない、などなど。
社会学部事務室長Hさんに
連絡を付けていただき、
食い違いの経緯を問い質す機会までも
手配してくださった。
大学職員と言っても一括りにしてはいけない。
「できる」人はいるのである。
午後1時前。
社会学部事務室に向かい、
再び昨日の学部長室へ。
事務室長Hさんの隣に、
昨日の学部長、K先生の姿が。
松岡:あ、あれ、K先生?
先生:ええ、もうすぐ会議なんだけど、
あなたがここに来ると聞いて。
松岡:ああ、僕もバイトの時間が、
ていうか、学長と会えるって
昨日おっしゃいましたよね。
先生:いいえ、そんなこと言ってませんよ?
松岡:え、だってメモくれたじゃないですか?
交渉していただいて、あとは日程調整しなさい
ってことじゃなかったんですか?
先生:違いますよぉ。
松岡:自分で交渉までしろってことですかぁ?
そんなん、学生が直接学長のアポ取れるわけ
ないじゃないですか。
もう、会う気満々だったんですけど。
先生:だから止めなかったんですよ。
松岡:い、いやいや。
先生:だいたい私もここに12年勤めてますけど、
学長にお会いしたことなんてないですよ。
松岡:え、ええ〜(苦笑)?
暗礁に乗り上げた。
果たして教授まで会ったことのない
「学長」とは一体、何者なのか。
ただ、学部長の話によれば
意見陳述書を作成して学部側に提出、
それに対する学長の回答次第では
対面の可能性あり、とのこと。
事務室長も苦笑いで、
正直、実現は思いのほか厳しい。
だが、諦めればそこで終わりである。
陳述書は月曜朝に提出予定。
バイトの昼休み終了時刻が迫る。
まだ何も食べていない。
急いでコンビニに駆け込み、
やきそばパンをひとつ購入。
味も何も分からないくらい貪り食う。
まるで「めげないイジメられっ子」である。
バイト先に戻る。
背後で流れるFM802。
4月からメジャーデビューする
関学出身バンド「オレンジペコー」の曲が
ヘビーローテーションで流れている。
「ゼミの後輩が頑張っている」
ここでくじけるわけには行かない。
---
追記:
友人からメール。
大学サイトのPDFから
「大学全体に共通する重要事項の
審議決定機関としては大学評議会がある」
の一文を発見してくれた。
http://www.kwansei.ac.jp/welcome/tel_guide/pdf/2001_soshiki.pdf
評議会。
スター・ウォーズで言えば
ヨーダ以下12人で構成される
ジェダイマスターの集まりか。
学長よりもさらに上。
ほとんど実感が湧いてこない。
どうしたものやら。
! 2002年3月16日(土)
「そういえばG先生…」
社会学部前でG先生を見かけた
昨日のお昼時を思い出す。
今回、問題となっている
4年以上前の「語学研修」に同行し、
巧みな日本語を織り交ぜながら
学生たちを親身に誘導してくださった
アメリカ人の先生(女性)である。
留学当時とは打って変わり
丸坊主にしていた2年後の松岡を見かけ、
「あら、髪型変わりましたねえ」
と覚えてくださっていたG先生。
学生間でも、非常に人気が高い。
そんなG先生。
骨折したのか、松葉杖をついてらした。
まさか「語学研修」の単位認定を巡って
議論を交わしている最中に、
なんだかタイムリーで気味が悪い。
午後5時半。
バイトを終え、図書館に向かう。
K先生の組織論・講義ノートを参照し、
社会学者マックス・ウェーバーの
「支配の社会学」を探し求めた。
K先生の言う「システムの欠陥」を
追究するためだ。
2冊からなる、
昭和35年発行の訳書を発見。
パラパラとページをめくるだけで、
頭が「いいい」となりそうである。
齢23にしてアイドルプロデュースに携わる人間が、
なぜに古文書と格闘せねばならぬのか。
読む前から、すでに挫けそうである。
図書館を後にする。
いつものごとく、
母の精神をも蝕んだ忌まわしき事務員の応対が
頭の中でリフレインする。
「君の数え方が間違ってたんじゃないですか」
「こういうのは自己責任ですから」
「認める認めないじゃなくて」
「そういうのにはお答えできません」
「基本的にはそういうことはしてないです」
問い詰めたい。
小一時間、問い詰めたい。
あなた方は、何のために仕事をしているのかと。
学生が気持ちよく勉強できる環境をバックアップし、
学生を気持ちよく送り出すのが
あなた方の仕事ではないのかと。
彼は目的遂行のため脱人間化された
マニュアル人間のままでいいのだろうか、
なんだかいらぬ心配をしてしまう。
そんな彼を、鬼とは言わない。
ただ、少なくとも「人」ではない。
「そこまで学生に手が回らない」
などと言おうものなら
「人でなしの人手なしですね」と、
とびっきりのシャレを
リボンつきでプレゼントしたい。
ではまた明日。
! 2002年3月17日(日)
友人からメール。
他大学の友達が、あと2単位を残して
不本意に留年したとのこと。
松岡以外にも、本大学で留年決定を
余儀なくされた人物を3人知っている。
提出レポートが60点で合格のところ
50点と判定された者。
4年生であることを考慮して、
本来52点のところを58点にしたと
教授から報告を受けた者。
(真剣に言ってんの?)
人それぞれである。
中には大手マスコミに内定していた人間もいる。
だからと言って、
就職先を考慮した卒業認定を
実施しろとは言わないが、
少なくとも本学が、
狭き門を突破した優秀な人材を
世間に輩出するチャンスを
ひとつ逃したことになる。
それが教授の主観によるレポートの裁定
であるならば、それほど卒業証書の授与を
頑なに拒む理由が見当たらない。
呪文のように就職率の高さを繰り返す
本学の姿勢から言えばなおさらだ。
ちなみに松岡は就職先が決定しておらず、
フリーでライター業その他をこなしている。
つまり「内定」がなく、
迷惑をかける企業も存在しない。
だからこそ、上記のような発言が
しやすいことを付け加えておく。
ただ、やはり波紋を呼びそうなので
この辺でやめておく。
今日は、学部へ明朝提出予定の
意見陳述書を作成。
自分で言葉を使っておいて、
それが何だか分からないため
インターネットで「意見陳述書」を検索。
裁判に関するお堅い文章をいくつか目にし、
だいたいのイメージをつかむ。
作成にあたり、
留意したのは以下の点。
・怒りを抑えた丁寧な姿勢
・バイアスをかけない表現
・視覚的に読みやすい文面
・格調を高め、真摯に受け止めてもらうための
やや堅めな文章
普段から「わ〜い」とか「にゃーごろにゃーごろ」などと
腑抜けた文章を書いている身としては、
格式高い言葉を脳から引っ張り出すのに苦労した。
もう、懲り懲りである。
提出内容は「論点」のページに掲載。
簡単に言うと、
再審議の要求と学長への謁見依頼である。
この話、さらに倍!
じゃなかった。
さらにつづく。
! 2002年3月18日(月)
早朝。
幾度かの改訂を経て、
ようやく渾身の意見陳述書が完成。
朝の5時にも関わらず
手直しをしてくれた他大学の友人Mくん、
ネットに公開した直後に
電話で誤植を指摘してくださった
N先生に、感謝。
今回、改めて心強い支持者に
見守られていることを実感。
それに応えることが、松岡の使命である。
朝9時。
文書を提出するため、
学部事務室に到着。
「あの、ですね、今日は、こ、
陳述書を読んで、お読み、う」
睡眠不足と疲労の疲れ(長島流)で
声にならない声、そしてカミまくり。
応対した直球ストライクの美人女性職員に
「松岡さんですね」
と言われ、ちょっとフクザツ。
ある意味、有名人らしい。
その後、事務室長のHさんが現れ、
文書をしかと手渡し。
急いでバイトに向かう。
正午前。
ガソリンスタンドでアンケート用紙を配る
立ち仕事のバイトをしていると、
あまりに眠くて足元ふらふら。
見かねた所長さんが
「これに座っとき」と言って
四脚の椅子を用意してくれた。
「あ、ありがとうございます」
と涙腺をゆるませたが、
恐ろしく不安定なその椅子にコケそうになる。
夕方、帰宅。
父から届いたメールを読む。
「母校のことを悪く言うのはどうかと思う」
違う、そうじゃない。
ここで過ごした5年間は、一切否定していない。
今の自分が存在するのは、この大学があったから。
素晴らしい友人に恵まれ、
たくさんの刺激を受け、
そのひとつひとつが血となり肉となり、
骨となっている。
ただ、笑いながらゴールテープを切ろうとして
「ここはゴールじゃないよ」
と言われたことに、
少し納得行かないだけ。
今回のせいで夫婦仲が良くないみたく、
気休めに使った表現が誤解を招いてしまった。
N先生は言う。
「愛校心を忘れずに」
僕は関学が大好きである。
それが結果として
むちゃくちゃ好き、か
色々あったがちょっと好き、の
どちらかになるだけである。
卒業式までちょうど1週間。
明日は親しい後輩(4年生)が、
海外旅行から帰ってくる。
「組織」や「規則」に嫌気がさして、
部長にまでなったサークルを勝手に辞めた後も、
懇意に接してくれた貴重な理解者である。
「一緒に卒業しましょうね」
「卒業式の日、一緒に写真撮ろうな」
合わす顔がない。
明日もつづく。
! 2002年3月19日(火)
もうそろそろお気付きだと思うが、
今回の件は様々な要因を孕んでいるものの、
一言で言ってしまえば「運が悪い」のである。
5年前に配布された資料が明暗を分けた点。
2年もの間、卒業危機に気付かれなかった点。
他学部には見られない不親切で煩雑なカリキュラム。
まるで草木をかきわけピンポイントで辿り着いた
落とし穴のようである。
基本的に松岡は、運が悪い。
なんせ2年越しで目指した念願の出版社内定に
あと一歩まで迫りながら、
数千人から勝ち抜いた10人程度が招集され、
10人程度が内定した最終面接に落選した男である。
ネタにしては少々出来すぎである。
だが、もしもその出版社に内定していたら、
今回の件で取り消しになっていたわけで、
その取り乱しようは尋常ではなかったはず。
そう考えると、ものは考えようなのかもしれない。
正午過ぎ。
下宿先の大家さん経営店に出向き、
今回の経緯を説明する。
卒業するしないに関わらず、
今後も同じ部屋に住めるという話だったが、
黙っておくわけにはいかないからだ。
そこで聞いた耳寄りな話をひとつ。
とある知人の息子が、R大に学校推薦で入学。
しかし半年経って「自分に合わない」と感じ、
D大再受験を申し出る。
高校の先生は「推薦枠がなくなる」と激怒したが、
その学生はR大の学長に手紙を書く。
すると、学長から返事が。
「自分の合わないところで勉強する必要はない。
D大を受け直しなさい。もしも落ちたら
引き続きR大で面倒を見るから」
我が母校の学長は、どれぐらい男前だろうか。
大家さんが言う。
「あの額縁の絵、学長の奥さんが描いたんよ」
その繊細なタッチに見惚れてしまった。
この絵を描く奥さんにして、その夫。
根拠のない勝算が浮かぶ。
午後。
雑念を捨て、少し仕事に取りかかる。
「あなたは学生を言い訳にしている」
そんなつもりは微塵もなかったが、
感じる人がいるのなら、それは真だろう。
仕事先でそう言われて以来、
学生という肩書きは呪縛のようだった。
学割その他を見る限り、
特権的な身分として羨まれることもあるが、
やはりプロとプロのぶつかり合いの中では
「学生」は障害である。
だから、早く解き放ちたいのだ。
学生的発想はなくしたくない。
しかし学生であり続ける必要もない。
それが来月からなのか、
半年後なのか、
あるいは半期休学した後の一年後か。
今はまだ、分からない。
この話、明日もまだまだつづく。
! 2002年3月20日(水)
16日(土)の日記で、
事務員のことを「人でなし」と書いた。
これは訂正しておきたい。
正直、この「経緯」を毎日書きたくて、
何を書こうか何を書こうか
ずっとずっと考えている。
「人手なし」のダジャレを思いついた時も、
膝をポンと叩いて「お、いいねえ」程度の
言葉のお遊びだった。
しかし読み返すと、
いい表現とは決して言えない。
N先生も同業者として
「組織を憎んで人を憎まず」
の心持ちでいて欲しいとおっしゃる。
一体「組織」とは何なのだろうか。
マックス・ウェーバーの「支配の社会学」を頼りに
K先生の講義ノートを読んでいると、
今回のケースを通じて本学組織が
官僚制の「合法的支配」に
類されることが見えてくる。
首長をリーダーとした非人格的な側面を有し、
大衆平等が重んじられる。
つまり「顔」の見えない大衆が
常に平等であるよう、
形式主義的に変化への適応性を持たせない。
そんな欠陥が浮き彫りとなってくる。
「前例がない」「基本的には…しない」
お役人の煮えきらない言葉は代表的である。
では「大衆」とは何か。「平等」とは何か。
各人が一様でないことは、
今の時代、誰でも知っている。
それに見て見ぬフリをし、
個々のケースを鑑みず、
顔なき組織、制度、規則を優先するのは
「大衆」を一括りしているに他ならない。
相手は「人」である。
十人十色、百人百色の「人」である。
今日のニュースでは、
入国管理局について取り上げていた。
外国人の取り扱いを巡り、
管理局の厳しいチェック体制にキャスターが
「心はないのか」と言及していた。
外国人犯罪は多いけれど、
それは全ての外国人には当てはまらない。
個々のケース、個々人で見ていく姿勢こそが
大事ではないか、と。
分かる。確かに分かる。
知り合いでもない人間の諸事情まで考慮する
人的・時間的余裕がないことは分かる。
「いちいちやってられない」
と言われれば、確かにそうで、
自分が組織の側に回れば
目的遂行第一の「心なし」になる
可能性は大いにある。
しかし、心だけはなくしてはならない。
いや、きっとあるのだろうが、
善処しようとする心、
改善しようとする姿勢、
それが「見えない」から問題が続出するのだ。
映画『ザ・ビーチ』を思い出す。
無人島を「隠れた楽園」として
ひっそり過ごしていた人間たちが、
集団存続のために課した「他言しない」という
掟を破った仲間の抹殺を謀る。
外部からの異端者は受け入れない。
変わったものは認めない。
そんなものが続くはずはなく、
結局、無人島集団は崩壊してしまった。
変わること。
これが「維持」ではないだろうか。
正午。
学部に意見陳述書を提出してから
3日目の今日、
学部長から電話があった。
「おめでとうございます。卒業が決定しましたので」
えっ?
この話、詳細は明日以降に。
! 2002年3月21日(木)
松岡厚志、大学卒業決定。
午前10時。
学部長、K先生、N先生のお三方と会談。
学部長より詳しい経緯をお伺いする。
それによれば、
昨日、臨時の教授会が開かれ、
特例で卒業を認めることになった、
ということらしい。
社会学部全50名の教授
(うち3分の2?以上)を招集し、
熱心に議論していただいたそう。
それだけでも胸に込み上げるものがある。
議論の核となったのは「他学部との比較」。
法学部には但し書きがあった、
というような事実を
社会学部は認識していなかった。
つまり、学部間のつながりが希薄で、
今回のケースはそのことに一石を投じる
いいきっかけになったとのこと。
本学組織は統一前のイタリアに近いのかも。
せめぎあっているわけではないが、
小国同士の集まりが大国を形成している。
他大学はどうだろうか。
学部長の話は続く。
これまで「単位の読み替えはしない」というような
暗黙の了解が、慣例としてまかり通っていた。
「誰が言い出したか分からないが、引き継がれている」
ものに対し、再度見直していく姿勢で行く、と。
事務員の方々も、過去の洗い出しに
精を出されているそうだ。
関学が、動き出している。
「関学は僕が変える」と言ったことが、
微々たる程度でも現実的になっている。
これほどうれしいことはない。
「うまく書けている」と褒められた意見陳述書を、
「緊張感を持たせるために学部に保管しましょうか」
と提案されたが、さすがにそれはお断りした。
すでにコピーはあるそうなので、
そこまでするのはおこがましい。
さらに学部長から。
「社会学のスタンスは、常識を疑うこと」
この一言で、救われた。
この5年で学んだことは、間違ってはいなかった。
社会学部に身を置いて、心から良かったと思う。
今年受験した従兄弟の桜が散って残念である。
ところで昨日の締めくくりに「えっ?」と書いた。
これは真に、しらじらしい。
実は月曜の時点で臨時の教授会が開かれることは
口外しないことを理由に学部長から知らされていた。
学部長以下先生方が「なんとかしたい」と
以後も頭を悩ませてくださっていたのだ。
「これ、内緒ね」と言われた瞬間、
振り向きざまに「聞いて聞いて」となる性格だけに、
親にも黙秘するのは辛かった。
今、安堵の気持ちでいっぱいである。
卒業確定の報を受けた友人は言う。
「まあ良かったね。
うざい学生を放出したかったんでしょう」
正直、そういう思いがなかったこともない。
これ以上、一学生が組織内部を駆けずり回ることに、
ちょっとした焦りが学校側にあるのかもしれない、と。
だが、真実は違っていた。
聞けば、社会学部の先生方が
「言いたいことを言っている」
松岡の若さに任せた情熱に
心を突き動かされた、とのこと。
中には遠い大学生活を振りかえり、
類するケースが自身にもあった過去を
思い起こされた先生もいる。
自省、納得、感服、感心。
一学生が、先生方の感情のいずれかを
引っ張り出した結果になったようだ。
関学に神はいた。
いや、それ以前に「人」がいた。
この大学に入学して、
本当に良かった。
松岡厚志、大学卒業決定。
この話、卒業式(25日)までつづく。
! 2002年3月22日(金)
うれしさで、頭がいっぱい。
浮かれてバイトをすっぽかす。
気持ちの切り替えは大切に。
昨日より、
たくさんの友人たちから
お祝いのメールや電話が。
卒業おめでとう。これから君も社会人だね。仕事ガンバレ
おめでとうございます!よかったっすねー。
まじですか!?かなり良かったやん☆
これでお母さんも安心だね〜(^-^)♪♪
おめでとう。いろいろあったけど、おめでとう。
終わりよければ全てよし。ご両親をいたわってください。
よくやったー
おめでとう。ねばった甲斐があったね。
よくがんばりました。はなまるだ。
すっごいね☆がんばりました。
これで安心して、卒業式を迎えられるね。
すごい、すごい!やったね。卒業祝なにがいい?(笑)
とりあえずは乾杯だねぇ。おつかれさま。
卒業ほんまにおめでとう。
あんなに厳しい状況の中、覆したのはあっぱれやわ。
嬉しいニュースを聞いて、なんかうちも勇気づけられました。
おめでとう!!すげーなあ!普通の卒業よりうれしいやろー
今度集まるときパッーと行こうぜぃ!
ほんまおめでとう。(電話の)第一声の高いトーンで
いい結果だってわかったよ。
マジで!!良かったなぁ〜。お母さん嬉しいわ。
とにかくお祝いだ。いぇーい☆
(注:この人、お母さんじゃありません)
ぶっちゃけた話それだけはもうありえないと思ってたから(笑)、
かなり驚いた(^^;。まぁとりあえずオメデト。
戦った甲斐があったねー。
これで全ての出来事は将来笑い話にできるね。
いや〜ン♪大逆転勝利やんか
おめでとうー
やるだけやった甲斐があったってもんじゃない
・
・
・
もう、言葉にならない。
正直に言うと、一時期ガクンとへこたれていた。
「もう、疲れた」
なんてため息すら漏れていた。
だが、再び奮い立たせてくれたのは、
友人たちの惜しみない声援だった。
本当に、心から、永久的に、ありがとう。
さらに友人から。
「そうですか。卒業できるんですか。
死ぬよ。
キミ死んじゃうよ。
ここで、運使ったら、キミ死んじゃうよ」
死んでもいいかも。
卒業式まで、あと3日。
! 2002年3月23日(土)
大家さんが経営する店へ。
卒業確定の報告をすると、
大家さん以下従業員の方々から
拍手喝さいを浴びる。
今の部屋に住んで、はや5年。
もはや第2の家族である。
勢い余ってナンバーズ4を購入。
数字はもちろん、学籍番号4桁。
この数字とも、5年の付き合いである。
最後にひと花咲かせるか。
ともあれ今回の逆転劇は、
すごいすごいと言われるものの、
そこまで「オレ様、すげーだろ」とは思わない。
達成感はあっても、
自分一人の力ではなかったからだ。
友人たちの後押しはもちろんのこと、
黒が白になるまで動いてくださった先生方に、
改めて感謝、感謝である。
まずは学部長へ。
5者面談の際は話が平行線で、
正直「会話にならない」と思ってました。
しかし、その後は他学部まで働きかけてくださり、
臨時の教授会を開かれるにまで至りました。
そして今回の吉報。
「社会学のスタンスは、常識を疑うこと」
のセリフが学部長から聞けたのは、
一番の救いでした。
クラスメイトに理解されないやんちゃ者が
保健室の巨乳先生に「あなたはそれでいいのよ」
と艶っぽく言われたような心境です。
どうも、ありがとうございました。
次にK先生へ。
組織論を展開されているK先生が
教務主任でおられたことはある意味、皮肉。
と同時に最大の勝因でした。
そして「なんとかしたい」と見せてくださった
本来の優しさに、涙腺ゆるみっぱなしでした。
「社会ってそういうもの」
とおっしゃった先生のセリフが、
「社会ってこういうもの」
と今では変化しています、心の中で。
ビジネスの世界は理不尽が多く潜んでいるけれど、
「いつかは分かってもらえる」という
善き前例ができました。
なんとか巣立つことができそうです。
大変、ありがとうございました。
そしてN先生へ。
どうしても先生のゼミに入りたくて、
頭を丸めて面接に伺った頃を思い出します。
小学校以来のゆでだこ頭から湯気を噴射しながら、
広告のプロに「表現とは」を熱く語った
あのときの厚顔無知ぶりは今でも相変わらずですが、
ものの考え方、文章スタイルその他に
多大なる影響を受けました。
そして今回、先生が窓口になって
働きかけてくださらなければ
事は何ひとつ進展しなかったでしょう。
心より、ありがとうございました。
その他、多くの名前の見えざる功労者の方々。
筆舌に尽くし難い感謝の念でいっぱいです。
ありがとうございました。
また、聞くところによると、
事務員の方々も今回の顛末記を
読んでおられたとか(ドキドキ)。
今もこの声は届いているでしょうか。
口頭で、そして文面で、
学生といえば学生らしい生意気ぶりを
めいいっぱい撒き散らしてしまい、
ご迷惑をおかけしました。
特に、最初の応対をしてくださったFさん。
毎年の履修登録の際は「気優しい人だ」
と思っていただけに、
今回の拒絶反応を過敏に起こしてしまいました。
怒りに任せた攻撃的口調をお許しください。
(自分でもびっくり)
学部長の話から察すれば、
これからの社会学部、
これからの関学に、
映えある未来を感じています。
しばらくすれば名前も知らない後輩たちが
キャンパスに溢れかえり、
我が世の春を謳歌することでしょう。
口幅ったい物言いですが、
彼らの生涯にとって関西学院の名が
スコーンと心地よく響き渡るよう、
どうぞよろしくお願いいたします。
卒業式まであと2日。
明日はいよいよ、総括。
つつく、いや、つづく。
! 2002年3月24日(日)
やっぱり留年します。
そう言って、1年間みそぎのように
単位を取りまくる男気の6年生。
卒業します。
のつもりが、秋学期の学費未納発覚。
そんな大逆転の大逆転を期待する、
心あるんだかないんだかの友人に囲まれ、
いよいよ卒業式前日。
酒気も抜けたところで、
最後に総括していきたい。
このたび松岡厚志に降り注いだ顛末は、
自分にとって卒業試験のようだった。
・苦境に立たされたときの立ち振る舞い
・社会に羽ばたく自分のスタンス
・人は孤独ではないという事実
それらをしらみつぶしに再確認していくような、
悩みつつ学びつつの試練であった。
もちろん、社会に出た瞬間が全てではなく、
日々前進、向上、成長していくことこそ大事だが、
遥か遠い小学生時代から17年(6+3+3+5)
過ごしてきた「学生」の総決算であったのも、
また事実。
「僕は社会を渡れますか」
その判断は、自負心は持つにせよ、
周りのみなさんに委ねたいと思う。
世の中は理不尽、であるという。
思惑や利害関係が錯綜し、
むしろ思い通りに行くことは少ないだろう。
だけれども、
「社会は所詮そんなもの」と諦めず、
厭世的にもならず、
常に自省しながら生きていきたい。
その延長に、幸せがあればいい。
また今回、「大学」という特殊な世界の一端が、
図らずも垣間見えたとの意見をいただく。
他大学でもやはり、
似たようなケースは存在している、とも。
そこで解決した、しないに関わらず、
そもそも「そういう問題」があること自体、
問題ではないだろうか。
社会は理不尽かもしれない。
が、大学はそこまで教えてくれなくていい。
立ち返るべき知識の泉であって欲しいし、
振りかえるべき第2の故郷であって欲しい。
学生にとって一時の人生を過ごした、変えた
「良き思い出」となる場所であって欲しい、
ただそれだけだ。
もしもまだ「事務」のみ徹する
旧態依然な事務員がいらっしゃれば、
最後の生意気、言わせていただきます。
学生をお客さんとまでは言いません。
ただ、同じ学び舎の「仲間」として
お互い歩み寄りませんか。
学生は気ままで子供ですが、
希望に満ち溢れています。
そこのところ、どうかおひとつ。
(学生も調子に乗るなよ)
偉ぶる気はさらさらない。
松岡厚志の名を関学に残そうとも思わない。
(厚かましい志ではあるけれど)
ただ、その精神を、ときどきはこの顛末を
思い起こしていただければ、と思う。
2週間毎日更新してきた留年事件簿も、
いよいよ明日で最終回。
大学という枠組で捉えるだけでなく、
組織とは、規則とは、
そんな普遍的エッセンスを
みなさんなりに切り取ってもらえたろうか。
今回の顛末記が、その後も
たくさんの方々に読まれることを、
切に願う次第です。
お付き合いくださった方々、心より感謝します。
あと神様、ひょんな機会をありがとう。
明日は卒業式。
つづく(と言えるのも最後)。
! 2002年3月25日(月)
午前9時。
卒業式開始1時間前にお目覚め。
と同時に大量の鼻血を噴射。
どうやら夢で興奮していたらしい。
10時ジャスト、大学に到着。
すでにキャンパスは、振袖姿の女子学生と、
新入社員目前の黒髪スーツな男子学生、
そして見守るご父母で溢れかえっていた。
足早に会場となる体育館へ。
歓喜、どよめき、整然とした椅子の列。
事務員に案内され、
社会学部の指定場所に腰を下ろす。
「事務員さん、色々ご迷惑おかけしました」
胸の中で会釈する。
式、開始。
校歌「空の翼」や賛美歌を歌い上げ、
学長の式辞へと続く。
結局、学長との直接面談は叶わなかったが、
「卒業」が叶った以上、贅沢は言えまい。
周りを見渡す。
3000人以上の卒業生はまさに圧巻。
1年留年した身としては、
後輩や留年仲間を含めても
うち1%程度しか顔見知りがおらず、
右も左も分からない「きょとん状態」の
入学式を思い出した。もう5年も前だ。
改めて、巨大組織であったことを痛感。
式を終え、ゼミの教室へ向かう。
担当教授N先生から卒業証書をしかと頂く。
「お世話になりました」
その言葉の背景は深い。
正午過ぎ。
学食で大学生最後の昼食を取る。
豚生姜焼き定食を
「ぶたなま…」
と言いかけて、友人の失笑を買う。
キャンパスのメイン広場、中央芝生に移動。
後輩や友人らと写真撮影。
すでに留年が決まっていた去年の卒業式は、
ゼミ友達のカメラマンに徹していた。
スーツや振袖たちの中、一人私服の松岡は、
「はい、チーズ」の連呼に悔しさを覚えていたのだ。
今年こそは、写る側。
ベストポジションを探し求めていたところ、
「集合写真を撮ってもらえませんか」
と、とあるサークルに依頼される。
「私のもお願いします」「あ、これも」
カメラの数、13個。
「人には役割がある、写す側と写される側」
そう言ったのは誰だったろうか。
壮大なキャンパスの、黄色い声を後にする。
その背中には、哀愁が漂っていたに違いない。
卒業できるうれしさ、そして悲しさに、
思わず口から言葉が漏れる。
「学生じゃなくなるのはさみしいな」
人間、勝手なものである。
帰宅。
パソコンを立ち上げ、メールチェック。
「オンエア、おめでとうございます」
投稿していた「ほぼ日刊イトイ新聞」の
「ほぼRADIO」というコーナーに採用が決まった、
という一通のメールにガッツポーズ。
数ある人生設計のうち、まずは
「好きな人に認められる」
を実現するに至った。
学長は言う。
「卒業とは始まりです」
松岡厚志、今日、始まる。
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長らくのご精読、誠にありがとうございます。
読んでくださった方々の琴線に触れたとしたら、
それ以上の喜びはありません。
感謝の気持ちを忘れずに、
今後も頑張る所存です。
本当に、本当に、ありがとうございました。
なお、都合により、その後
一部改訂した個所がございます。
個人的なものに関わる点ですので、
どうかご了承くださいませ。
つづく(と言いたいが、終わり)。
!
後日談
自分の名前をネットで検索していると、
「2ちゃんねる」のスレッドを発見した。
2年半後の、2004年11月のことである。
■関学で単位足らなくて卒業もめてるよ
これ、リアルタイムで見つけていたら
どういう気持ちになったのかな。
今はもう「過ぎた話」なので、
アホと言われようが素敵と言われようが
一傍観者にすぎない。
でも、ちょっとドキドキした。
これ、本音。
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