元ストリップ嬢も泣いた、ストリップ初観劇記。


この文章は2002年に書かれたものです。リバイバル。



1.はぢめてのストリップ


あの日、僕は見くびっていた。

「脂ぎったオヤジが前の席を陣取って、前のめりでシゴいてんのやろ、どうせ」

昭和の残り火としての遊戯場。

その程度の認識しかなかった、ストリップ劇場。知人にもらった招待券を手に、僕は友人と初めてのストリップ観劇に出掛けた。

場所は東京・渋谷道頓堀劇場。「渋谷なのに道頓堀」と一笑に付していたが、実は「道劇」の名で親しまれる名門であった。後に調べたところ、1995年末、惜しまれつつも25年の歴史に幕を閉じ、2001年6月に復活を果たした人気劇場であるという。コント赤信号やダチョウ倶楽部の肥後克弘がお笑いの修業を積んだ場所としても有名だ。

一時閉鎖後は「道劇」の名を存続させるべく、北海道はすすきのに「札幌道頓堀劇場」を開館。また各地の劇場を間借りする日本初の「移動ストリップ劇場」としても名を馳せ、紆余曲折の歴史とともに今日の姿を留めている。

ストリップショーの予備知識が0に等しかった僕は、事前に入手した道劇のチラシに目をやっていた。

「うわ〜コイツ出てきたらキツイな〜」

ご招待の身分であるにもかかわらず、まだ見ぬブサイク女優にケチをつけ、友人とマクドナルドで談笑していた。

「ショーは2時間半もあるし、ゆっくり行こや」

ほとんど何も期待していなかったのである。というのも、友人の経験談を少し耳にしていたからだ。友人は、ストリップ観劇の経験があるという。どんなだったか早く教えろとせっつく僕に、空を見上げて彼は言った。

「アメリカとかによくあるやつで、おひねりをスッと入れたりするねん。酒呑みながら、ゆっくり観てたわ」

僕がかねて想像していた「円形ステージに食い入るオヤジのピンク部屋」というイメージにはほど遠く、デミ・ムーア主演の映画『素顔のままで』に登場する世界そのものであったという。

つまり、酒のつまみとしてのストリップ。

「観る」よりも「楽しむ」場所であるのだろう。そんなところであるならば、何も、開演と同時に行く必要はない。

急ぐ必要など、どこにもなかった。


つづく。

2.パイパンというオードブル


渋谷駅前のスクランブル交差点を抜け、道玄坂をとぼとぼ歩く。期待半分、冷やかし半分。韓国エステの客引きを振り払い、僕らはようやくたどりついた。

「お、ここや。21時から23時半までって書いてる」

すでに時刻は22時。

戸惑いながら入り口にそっと入ると、もぎりのオヤジが立っていた。招待券を荒々しく引きちぎられ、地下の劇場へ降りて行くよう案内された。僕は期待が冷やかしを上回り、少しかかとを浮かせていた。

ポスターが踊る階段を訝しげに下り、観音開きの大きな扉を目の前にする。従業員が「いらっしゃいませ」と扉を開けると、そこは暗闇に光明が差す小空間。ゆったりとした音楽が流れていた。

酒はどこだろう。テーブルはどこだろう。暗闇の小さな部屋の中央に、ライトの当たる円形ステージがある。客席がそれを取り囲み、後方に若干の立見席がある。見当はずれもいいとこで、デミ・ムーアの世界は微塵もなかった。

昭和の残り火がくすぶっていたのだ。

席は満席だったため、ひとまず立ち見をすることに。舞台上の女優さんは、すでに一糸まとわぬ姿だ。そこで僕らは驚いた。

パイパン。

無地の麻雀牌「白牌」が語源の「パイパン」。女優さん、いきなりアソコが無毛なのだ。

「ストリップって、毛がないの?」

曲に合わせて開脚、閉脚を繰り返すしっとりとしたその踊りは、すでに後半を迎えていたらしい。恍惚の表情を携えたまま女優さんは、幕の奥へと歩いて消える。ゆったりめの音楽も、フェードアウトしていった。まだ「ストリップ」を把握しきれていないのに、もう、ショーは終わりなのだろうか。

友人と顔を見合わせていると 突如、軽快な音楽が流れ出した。

「はーい、おつかれさまでしたぁ」

部屋が明るくなり、雰囲気もガラッと変わって、パチンコ店のマイクアナウンスのような男性の声が聞こえてきた。

「えーポラロイド撮影、1枚500円でございます。えー、どなたかいらっしゃいませんか?」

先ほどの女優さんが、ピョンピョン飛び跳ねながら再登場した。「疲れたにゃーん」と言いながら舞台にペタンと腰を下ろす。その手にはカメラの入ったバスケットが。

説明しよう。

女優さんのショーが一通り終わると、ファン感謝祭のようなひとときを設けるのが常らしい。客の中から挙手した者は1枚500円でポラロイド撮影を許可され、女優さんに好きなポーズを取らせることができるのだ。


女:は〜い、どなたか写真いりませんか〜?

客:あ、はい、買います。

女:にゃーん、ありがとー。はい、これカメラ。

客:は、はい、はい。

女:どうする? ポーズは? こう? こんな感じ?

客:えっと、じゃあ、足を開いて座ってください。

女:こう?

客:えっと、もうちょい開いて、そそ、そう!

カシャッ!


字面で見るとアホかと思うが、ここには舞台女優と観客との温かい心の交流がある。

お客さんの望みを叶えんとする、女優。女優をキレイに撮ってあげたい、観客。おさわりサービスなどあるはずもなく、ファインダー越しに心と心を通わせていくのだ。

挙手した数名が撮影を終え、「んじゃあ、ばいばーい」とニャンニャン言葉の使い手は再び幕の奥へと消えた。踊りで見せた恍惚の表情と、カメラ撮影時の異常なテンションとのギャップ。「何なんだ、一体」とキョトンとしていた僕は「おい、席に座ろうぜ」と友人に背中を押されていた。

そう、まだまだ舞台は続くのだ。

女優は一人だけではない。時間いっぱい、後に続いていくのである。今の女優で見納め、と思えばいつでも自由に退席できるようで、2時間半の上演は入れ替え制ではないらしい。何人かが退席し、僕らの座るスペースができた。

円形ステージに近づいた。最前列ではなかったが、弧を描く長椅子に腰掛けたとき、少し落ち着いてきた自分がいた。周りの客を観察する余裕が出てきた。

やはり多いのは年配層。30代もいるにはいるが、意外なのは、総じて身形がまともなこと。性風俗に群がる猥雑なオトコどもという図式はまったくなくて、むしろ上品な出で立ちの男性が多いのだ。

次のステージは、さっきと違い、頭から終わりまで見届けられる。客の反応も視界に入れながら、しかとこの眼に刻もうではないか。

心はすでに、興味を加速させていた。


つづく。

3.本日のメインディッシュ


パラパラが始まった。

と思わせるほど、高速ビートが空間を揺らす。大音量の音楽が連れてきたのはバランスよく整った顔、肉付きのいい、プロ仕様の肢体。本業はAV女優の、本日メインの登場であった。

コンパニオンが着るような、光沢のあるショートパンツ。白と青のテカテカルックでダンサブル。その姿はまるで「プチ安室奈美恵」。長い髪に、汗を飛び散らせ、奥まったステージから円形ステージの中心にやってきた。

音楽は一転、しっとりムードに包まれる。女優さんは、まとう布を剥ぎ取り始めた。

上着から下着へと、その脱ぎ方はプロそのもの。しなやかな手つきで“見えるギリギリ”を演出し、「早く見せて」と客を急かせる。かと思えば視線の外で別のところがいつの間にか露になっていて、「おおっ」「むむう」と僕も思わず唸る。エロスとトリックを織り交ぜたような、見事な手さばきなのである。

染みひとつないスベスベの裸体。やわらかな光に抱きしめられ、宝石の汗がまばゆく輝いている。

尻を着いた円形ステージが電動で浮き上がり、ゆっくりゆっくり回転し始めた。女優さんは曲に合わせて足を伸ばし、足を開き、足を閉じる。手は艶めかしく這いつくばり、顔や首をなぞっていく。足の指先までピンと張り詰めていて、見ていて背筋がゾクゾクする。

「すごい……」

気合いの入りようが違う。体を寝かせ、足を開き、ときにお尻を持ち上げる。アソコを見せびらかせるためだ。

回転するステージに合わせ、焦点を局部に定める客がほとんど。客の首がススーッとアソコと並行移動する。そこには迷いも恥じらいもない。

「私はアソコを見に来ている」

その使命感が、外聞を捨てさせるのだろう。というより、客は一時の運命共同体なのだ。内輪にいて、何を気にすることがあろう。臆面もなく首をスライドさせるお父さん、お兄さん。その表情はいやらしくなく、爽やかだ。

女優には、決まったポーズがあるらしい。

背を着いて、片足を天に突き上げ、ピタリと制止。尻を着いてアソコを差し出すように、大開脚。その刹那、刹那に拍手が起こる。

さらには従業員が、紙テープを投げ入れる(テープの一端を持ち、投げて、すぐに引き戻す。紙テープのヨーヨーを真横に飛ばすような感覚だ)。

絵画となった肢体、盛りたてる紙テープ、惜しみない拍手、その三位一体が、ストリップのライブ感を演出するのだ。

「あ、毛がある」

雁首そろえてスライドさせる一味のひとりである僕は、パイパンではないアソコに気が付いた。毛がある女優さんもいるのかと納得していた。

安室ダンスから開脚大回転まで、およそ20分はあったであろうか。最初の女優さんよろしく本業AV嬢はフェードアウトと共に消え、まろやかな撮影会を迎えた。

さすが本日のメイン。アイドルの公開オーディションでプラカードを掲げるレコード会社みたく、ハイハイハイとそこら中で手が挙がる。中には2回も撮る奴がいて、女優さんの粋な計らいもあり、ステージに上がって肩を組むという偉業を成し遂げていた。

「だってカワイイじゃん」

そう語りかける彼は、モーヲタみたいな脂デブ。このAV女優の追っかけらしい。別の客にシャッターを切らせたステージ上でのツーショットには、女優さんも隠しきれない苦笑い。

彼女はおそらく本上演の客寄せパンダであり、骨の髄までストリップ嬢になりきれていなかったのではないか。演技は申し分なかったが、ファンサービスへの戸惑いは明らかに減点対象である。

遠足は、帰るまでが遠足です。ストリップは、撮影会までがストリップです。

惜しい、実に惜しい。


つづく。

4.加護オバQが奏でる音楽


いよいよストリップ嬢も3人目。

と言っても正規の時間で入店していないので、トータル何人目かは知らず。とにかく僕たち的には、3人目。

AV女優の撮影会が終わり、照明が消え、どこかで聞いたことのあるイントロが。

♪チュッチュッチュチュチュ、サマ〜パ〜ティ

三人祭だ。

『チュッ!夏パ〜ティ』だ。

加護ちゃんだ(推定)。

あくまで推定、仮想なので、加護ちゃんとはお世辞にも言えない。それどころかこのストリップ嬢、少しオバQの面影が。

微妙である。これは微妙である。メインディッシュと落差がありすぎて、とても母ライオンのような「愛のある」崖落としには思えない。ほうほうの体で這い上がれとでも言うのか。

苦笑が漏れてきた。明らかに周りの客が苦笑い。恐らく50人はいたであろう客の大半が「キツイ」と思ったはずである。

ところがストリップを見誤ってはいけない。

盛り上げる音楽、女優の顔立ち、それらはあくまでおかずであって、ご飯ではない。本質は、表情を含めた「演技」なのだ。はじけた音楽で客をつかみ、優しい曲調に変え、その足と手と顔とお腹と尻と乳、すべてを駆使して笑顔で動いて。

加護オバQの懸命さは、客のひとりひとりに届いた。汗だくで客を楽しませようとする息遣い。顔のバランスよりも、筋肉の弛緩による「表情」こそ大事。いつしか「キツイ」が「キレイ」になり、演舞そのものに皆が食い入っていた。

ストリップ嬢の想いを人づてに聞いたことがある。

「アソコばかり見られるのはイヤ」

恥ずかしいから、ではもちろんない。恥ずかしがり屋がストリップなどするものか。彼女たちは、女優である。舞台女優なのである。脱ぐ、というのはひとつの手段。いかに演技で人を魅了できるのかに挑戦し、魅了された客を感じることが幸せ。アソコ以上のものを感じさせることが幸せ。

およそ美人とは言えない女優の登場に、ストリップの真髄を教えられた。美人であるか、そうでないかは問題ではない。「演技」が美人であるかないかが彼女たちへの唯一の評価なのだ。

客の「アソコを見に来ている」という使命感は、ボーカルの声だけに耳を傾けるライブのノリに近い。ドラムがあって、ギターがあって、ベースがあるから、ボーカルがある。

ストリップ嬢は、そのすべてをひとりで内包しているのだ。

アソコだけが際立つ女優はボーカルメインのワンマンバンド。逆にアソコが際立たない女優は、相乗効果の黄金バンド。

加護オバQに、美の旋律が見えた。


つづく。

5.純和風というア・ラ・カルト


「道劇のストリップは、ストーリー仕立てがウリ」。

「オナニー女王」で名を馳せた看板女優(その後はプロデュース業)の清水ひとみは、そう語る。

脱ぐ、という表現手段を軸にして、見せ方はもちろん、女優の登場順にまでメリハリをつける道劇。客を少しも飽きさせない。

加護オバQに続くのは、純和風の着物美人。お琴のキレ味鋭い音色と共に現れたるは、艶やかな、女優然とした女優である。ここがストリップ劇場であることを忘れさせてくれた。演劇空間であることを喚起させてくれた。

その白い肌が、美しい。触ると壊れてしまいそうな、柔肌。桜吹雪が似合いそうな、月見饅頭のごとき餅肌。

意外にも「昭和の残り火」という言い回しに反し、『チュッ!夏パ〜ティ』のような新進J-POP、というかバリバリ現役アイドルポップをBGMに取り入れている道劇ストリップ。そのラインナップの中にあって、純和風な演出が異彩な存在感を放っている。

ア・ラ・カルトとは、一品料理のこと。数人の女優を交代で出演させ、2時間半のステージをトータルで提供する一方、ひとつひとつ、ひとりひとりのステージを作品たらしめる演出と心意気が、そこにある。一品料理として恥ずかしくないクオリティが、そこにある。

また、純和風であるがゆえ、歌舞伎と少し重ねてしまう。「役者」に興味を抱く見方。「演出」に主眼を置く見方。見得を切る役者と、それに合わせた客の拍手、など。

歌舞伎は役者の屋号を叫ぶのがお約束で、ストリップは紙テープを投げ入れるのがお約束。どちらも「ファン以上、スタッフ未満」な人物による半分仕事、半分ボランティアな業務。劇空間での見世物という大前提はもちろん、両者の共通点は他にも多い。

歌舞伎にしろ、狂言にしろ、演劇は常に進化する。古くからあるものは、古くない。常に新しい風を取り入れていく、エンタテインメントの先陣なのである。

であることを踏まえるならば、演劇のひとつであるストリップに『チュッ!夏パ〜ティ』という組み合わせも至極当然というわけだ。

いい、いいよ、ストリップ。


つづく。

6.想定外のデザート


そろそろ時間的に、宴もたけなわ。

23時半になり、表記されていた上演時間の区切りとなった。着物美人ですっかり気分を良くしていたが、これで終わりというには少し味気なさも僕は感じていた。

物語は完結したけれど、5年後の主人公を見てみたい映画のような、「あともう少し」な終わり方であったのだ。そして流れる『蛍の光』。

帰る準備をして、顔を少し右にやると、なぜか女性が座っている。弧を描く長椅子の端に、それまでいなかった女性が座っているのだ。幽霊かとも思ったが、自分に霊感がないことは知っている。長髪の、少し物憂げな女性の正体は何者だ。

数秒ほど見つめていると、暗闇の中、女性は急に立ち上がり、脱兎のごとき素早い動きでステージへ。

ハプニングか、とも思った。照明の当たる舞台上でキョロキョロし、何かを探す仕草をする女性。この女性が「女優」であると知るまでに、さほど時間はかからなかった。

舞台奥に置かれていた等身大の人形を手にし、舞台中央、円形の中心にまで運んできた。ビニール製のダッチワイフほどではないにしろ、ややチープな布製の人形である。

女優は無声で語りかけ、ときに手を取り、足を取る。まるで人形がパートナーであるかのように、そこに息吹があるかのように、自然な動きを見せていく。

服は脱がない。女優は自身の衣服を剥ぎ取ることなく、着衣していない裸の人形を抱き、床に寝そべらせ、性行為の演技を始めた。

嗚咽に近い、快楽の喘ぎ。そこにペニスがあるかのように、もだえ狂うひとりのオンナ。あくまで声は出さない。無声劇の始まりである。

ストーリー仕立てとは、このことか。ハプニング的な、アンコール的な、終演時間を過ぎてからの人形芝居は、そこにひとつの「時間」を見せた。人形との織り成す「呼吸」を見せた。この女優の本気度をうかがわせた。

ふと劇場に足を運ぶ前を思い出す。チラシを目にし、「うわ〜コイツ出てきたらキツイな〜」と漏らした女優の顔がよぎる。

あの人だ。

しかも看板女優であった。人形を相手にひとつの「世界」を見せしめる輝きのオンナ、その人であった。

着物美人がラストと思い、その場を去った客を憂う。僕は体を乗り出した。変な意味じゃなく前のめりになり、女優の一挙手一投足を目に焼き付けた。感動の涙が、頬を伝った。

デザートにしては豪華すぎた。

服を脱ぐ、の視点で言えば、ストリップではなかったかもしれない。しかしそれが「ストリップは脱いでなんぼ」の世界でないことを逆に教えてくれた。

性風俗産業のしがないひとつ、という枠を超え、「ストリップはアートである」とさえ痛感させた。脱ぐ脱がない、それ以前の、エロスとアートが共存する場。

その境界は、限りなく近い。


つづく。

7.ストリップを食してみて


全ての舞台が幕を閉じた。すでに時計の針は、12の数字を超えようとしていた。

軽快な音楽が流れ、ステージに明るさがやってきた。これまで踊りを見せてくれたストリップ嬢のうち4人ほどが現れて、「ありがとう〜」と歌っている。

今日は私たちを見てくれて、どうもありがとう。

そんな誠意を歌に込め、ときに舞台から降りてきて、客のひとりひとりと握手する。4人がそれぞれ客全員と握手する。その表情はとても晴れやかであり、胸がすくとはこのことを言うのだろう。

アートでありながら、エンタテインメントであることも忘れない。ストリップ嬢も、客たちも、その場に居合せたことの幸せを感じ、今宵の宴を思い出にして帰路に着く。あの手の温もりは、きっと忘れない。

劇場を後にした。

同席した友人は、演劇経験者であった。そんな彼が、ぼそっと言った。

「すごかった」

僕も思った、すごかった。

脱ぐという選択肢を選び取り、演劇の素晴らしさを凛と伝えるカッコよさ。ストリップ嬢に、敬意を表したい。

ヘルス嬢やピンサロ嬢の「借金作っちゃったから」な後ろめたさは微塵もない。ネガティブな動機はきっとない。あったとしても、間違いなくポジティブに移行している。でなければ、あれほどの演舞のクオリティを維持することはできないだろう。舞台裏がドキュメンタリーになる理由が分かる。

この感動を、多くの人に知ってもらいたい。そう思い、友人たちに感想を聞かせた。女友達にも聞かせた。そしてみんな、声を揃えた。

「僕も(私も)観てみたい」

女性料金が設定され、トイレまで完備している。女性が近付くことを忌み嫌う遊郭とは違い、むしろ歓迎している点が単なる遊戯場でないことを証明している。色眼鏡で見られることはあるだろうが、女性も一度、観劇されることをオススメする。

ストリップという名の料理はレトルトでもなく、有り合わせでもなく、真心と品位を込めたフルコースだ。

かといって、身構える必要はない。万人がウェルカムな、健全な空間であり、僕は子供にすら見せてもいいと思っている。女性蔑視のアダルトビデオや視聴率優先の意味のないエロ番組よりよっぽど健康的で、教育的であるからだ。

最後にひとつだけ付け加えておく。ストリップ嬢はパイパンではない。毛があるのが一般的で、パイパンは演出のひとつである。全員がツルツルではない。

それだけ理解できたなら、あとは足を運んで腰を下ろすだけ。ストリップ劇場は、失われた「今は昔」の良いところを細胞レベルで思い出させてくれるはず。

ストリップへの門は、いつもどこかで開いている。


つづく。

8.後日談


ストリップ観劇記を公開して後日、元ストリッパーの方からメールをいただいた。曰く「ストリップ観劇掲示板」にリンクされていて、この連載を目にしたそうな。


> 読んでて楽しかったです。
> そして泣けてきました、嬉しくて。
>
> 「常連」ではなく「一見」「一般」の方のストレートな感想。
> その世界に棲んで麻痺してる(た)私達には貴重です。
>
> もう私は小屋に立つコトはありませんが
> まだ「裸の仕事」をしています。
> ストリップとは似て非なる世界ですが
> 「女」を魅せるのには、変わりありません。
> そして「偏見」が多い仕事だというのも同じです。
> ですから貴方様の感想は、本当にうれしかったです。
>
> 表現がショボくてすみません。(汗)
>
> 大したコトも書けてないのですが
> でもどうしても伝えたくて、メールしてしまいました。


こちらこそ、どれほど励みになったことか。

ありがとうございました。


おわり。

■渋谷道頓堀劇場公式サイト
 
http://www.dotonbori.co.jp/shibuya/


2002
松岡厚志


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