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13.葬式が仏式である理由
あれから歳月が流れた。婆ちゃんに対する悲しみは「胸にしまう」というやり方で、表面上は見せずに済むようになっていた。
一方で僕は「お葬式」というものが気になっていた。
お葬式って、大体ああいうものなのだろうか。
お葬式って、そもそも何なのだろうか。
僕は書店で一冊の本を手にした。ひろさちや著『お葬式をどうするか −日本人の宗教と習俗−』という本だ。そこには僕の疑問を一掃する強い一言が明記されていた。
「お葬式は、習俗である」
なるほど、やはりそうなのか。
思うに日本は「無宗教」の国である。仏教の考えはわりと浸透している方だが、宗派の違いまではほとんど認識されていない。また、日本人はクリスマスにお祝いをするなど他宗教の行事も取り入れている。儒教の考え方に影響を受けている部分もあるだろう。
要するに何でもありだ。
にも関わらず、現代の葬式は「仏式」がほとんどである。そこで僕は疑問に思う。
「宗教とお葬式の関係ってどうなってるの?」
日本が「仏教的」であることは疑いようもないが、仏教徒でもないのに仏式のスタイルでお葬式を執り行うのはなぜなのか。昔から「そういうもの」なのか。
そこに光を差してくれたのが「お葬式は、習俗である」という言葉。葬式というものは、宗教以前に、民衆の間で連綿と執り行われてきた「民族の慣習」なのである。
日本の歴史を紐解けば、こういうことだ。
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にわかには信じがたいが、仏教というのはもともと葬式を重視しておらず、お坊さんも昔から葬式をしていたわけではなかった。
一方、葬式自体は古来から行われていた。神職(=神主)を務める村の村長が神道に基づいて行ってきた。神道とは「日本人の宗教」とでも言うべきもので、民族独自のものの考え方のこと。
しかし時は江戸時代。なぜか仏式の葬式スタイルが一般化するようになった。それは幕府の強引な政策によるものだった。
「キリシタンを取り締まれ」
大号令が響き渡った江戸の頃、キリシタンの弾圧が始まった。そして彼らキリシタンを見分けるために出された策が、
「これからは坊さんが葬式を行え」
というものだった。キリシタンが信仰心のもとキリスト教のスタイルで葬式を行っているのを「浮き彫り」にするため、仏式を民衆に一般化させたのだ。
その前提として幕府は檀家制度を作り、日本人全員をお寺に登録させた。お寺が役所の戸籍係の役目を担い、そこに登録していない者(=非仏教徒)を見抜く意味合いがあった。
坊さんは戸惑った。これまで仏教徒ではない民に対して葬式を行ってこなかったので、そのやり方に困ったのだ。ただ僧侶仲間の葬式自体は行っていたので、それを民に転用することにした。
坊さんは死者に「戒名」をつけることにした。要するに死んだ時点でその人を「出家(=仏教に入門)した」と見なすことにした。即席ではあるけれど、あくまで仲間である仏教徒に対して葬式を行う、という体裁を取ったのだ。
他にも「お経」というのは出席者に聞かせているのではなく、入門したての死者に急いで仏教を勉強させている、という意味があるらしい。
現代の日本で一般化しているお葬式は、そうした江戸時代からの流れをそのまま継承している。「死んだ時点で仏教徒」という儀式が今では歴史を知られることなく、しめやかに全国各地で行われているのだ。
※東北など地方によっては旧来の儀式がそのまま継承されているケースも多い
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そういえば僕は父に「神棚を白い紙で隠せ」と言付けされたことがあった。あれは要するに「これから仏式のスタイルで儀式を行うから(神道の)神様はお休みしててね」という意味だったらしい。
父でさえ、その意味するところまでは分かっていなかったように思う。
つづく。
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