祖母のお葬式から見えたもの。
それは「SO式」という考え方。



1.叶わなかった花マル


まぶたを開ける力すら、 残ってなかったはずだった。

懸命に呼びかけるみんなの前で婆ちゃんは、 めいいっぱいの力で体を起こし、大きな声で 「あああああ」と叫んだ。それは、今から思えば「ありがとう」だったのかもしれない。

11月も終わる頃、母から一本の電話があった。


母:お婆ちゃん、いま入院してるからな。

僕:ああ、お父さんから聞いた。もうすぐ検査するんやろ?

母:いや、そんなん、せえへん。

僕:え、なんで?

母:もう、する必要ないねん。

僕:え?

母:……もう、どうしようもないわ。


末期ガンだった。

2度の手術で胃のほとんどを切り取り、確かに回復していたはずだった。体重は以前より20キロも減り、顔つきも別人になってはいたけれど、つい1週間前までは元気な姿を見せていた。それが「もう手遅れ」だなんて。

突然やってきた「事実上の訃報」に、僕はあふれる涙を両手で受け止めることができなかった。そばにいた当時の恋人は、何も言わずに僕を抱きしめてくれた。

翌日、あわてて病院へ。婆ちゃんにはまだ意識があり、僕の手をしっかり握りしめてくれた。言葉は不明瞭ながら「話す」こともできた。

だが、検査はない、治療もない。ただ点滴を打ち、酸素を吸って、たまに看護婦が血圧を計りにくるだけ。

病室は、まさに「死を待つ空間」。いたずらに時間が過ぎていく中で、このまま時を止めてほしいような、早くラクにさせてあげたいような。

生みの親の、今まさに息を引き取ろうかという姿。それに耐え切れそうにもなかった僕の父は「見てるのがツライ」と一言だけ漏らし、病室を抜け出してはロビーに腰を下ろしていた。赤ちゃんの誕生を待つ父親の心境とは天国と地獄ほどの差があった。

婆ちゃんの恐らくは転移したのであろうガン細胞は、胃はもちろんのこと、腎臓を侵し、肺を侵し、それは皮膚にまで達していた。婆ちゃんの両腕はサツマイモのような紫色と化していた。つまりは「腐って」いたのだ。

親戚が代わる代わる徹夜で「看病」する中で、婆ちゃんは吐息の音を日ごと小さくしていった。しきりに位置を変えていた足は動かなくなり、意思表示の手も動きを弱めていった。首を横に振ることも難しくなり、まぶたは開かなくなっていった。みんな、思い思いに婆ちゃんを励まし続けた。

僕が病院に来てから、3日目。婆ちゃんは「努力呼吸」はするものの、その口からはもう、ほとんど息が聞こえなかった。父や母や親戚はみな黙り込み、誰もが「最期」を意識していた。

「お婆ちゃん、頑張って!」
「お婆ちゃん、まだアカンで!」
「お婆ちゃん、お婆ちゃん!」

息が消えていく。

8人の親戚に囲まれながら婆ちゃんは最期の力を振り絞った。

「あああああ」

あと3日生きれば78歳だったのに。病室のカレンダー。婆ちゃんの誕生日には、花マルと“HAPPY BIRTHDAY”の文字が悲しく踊っていた。


つづく。

2.死からすべてはすぐ始まる


「ご臨終です」

そんな言葉は、もはや不必要だった。婆ちゃんを看取った色黒の陸サーファー風ドクターは、親族の前で深くうなずいた。

時計の針が深夜に突入しても、誰も婆ちゃんのそばを離れることができなかった。父は「起きてくれよ」と肩を落とし、母は嗚咽していた。従姉妹のギャル姉妹もメイクは大きく崩れ、目が腫れ上がっていた。

病院側は、しばし「お別れの時間」を与えてくれた。果てのない悲しみの時間が身内の心を切り刻んでいた。

しばらくすると看護婦たちが戻ってきて、婆ちゃんの「遺体」をキレイにするから部屋を一旦、出てくれと言う。お通夜、お葬式へと移るにあたり、耐え得る防腐処理などを行うのだ。婆ちゃんは、欧米では主流のエンバーミングではなくドライアイスを用いた一般的な形で「キレイ」になった。

父は悲しむ間もないまま、葬儀屋に電話をかけていた。かねてから婆ちゃんが「危篤レベル」にあると分かっており、もともと連絡しておいた業者だ。

深夜の2時にも関わらず葬儀屋は、病院の遺体専用出口から出て、婆ちゃんを家まで運んでくれた。僕も担架を運ぶお手伝いをした。婆ちゃんは、なおも意外に重かった。

婆ちゃんの家に戻ると、喪主となる父をはじめ、親戚たちは何かとバタバタしていた。ある者は葬儀屋と打ち合わせをし、またある者は言付けされていた遺影を探したり、お坊さんが座る用の座布団カバーを探したり。

病院から家に戻ってからは、誰ひとり「泣く暇」がなかった。

これから、儀式がいくつか続く。果たしてみんなが落ち着けるのはいつなのか。看病疲れが蓄積しているが、泣き言を言っていられない日々が待っている。

せめて、心ゆくまで泣かせてほしいものだ。


つづく。

3.最後のおめかし


「ハイカラさん」

僕の従姉妹は、婆ちゃんをそう形容する。婆ちゃんは奔放で、好奇心旺盛で、今で言う「ギャル」だったらしい。その血は従姉妹のふたりに受け継がれていて、「ああ、なるほど」と思わせる。

爺ちゃんとのなれそめを、亡くなる直前に聞いたことがある。電話交換手だった婆ちゃんは、国鉄の職員だった爺ちゃんの「声」にどうやら惚れたらしい。もともと婚約者がいたのだけれど、戦争に行ってしまって帰って来ず、その後、爺ちゃんと出会って結婚したそうな。

国鉄よろしく見切り発車だったのか、ふたりが結婚した後になって、なんと婆ちゃんの婚約者が戦地から生きて戻ってきたというオチ付き。それでも婆ちゃんは「もう一度生まれ変わってもお爺ちゃんと結婚したい」と語っていたというから、孫としては嬉しい話だ。

婆ちゃんを誰よりも慕っていた従姉妹の車の内装が、ヒョウ柄だったことがある。それに影響を受けたのか、婆ちゃんのコタツ布団も真似してヒョウ柄だった。「これ、ええやろ」と上機嫌で話していたそう。いつまでもオシャレさんで、ハイカラで。素敵な女性だったのだ。

優しさも人一倍だった。僕が「うなぎ好き」と知ってからは、家に遊びに行く度にうなぎを食べさせてくれた。正月のお年玉は、必ず、一番最初にくれた。大好きな婆ちゃんだった。

いま、婆ちゃんは目の前にいる。お気に入りの服を着せられ、つい先日までいびきをかいていた自分の布団で、静かに横たわっている。

従姉妹のギャル姉妹が、化粧ポーチから何やら取り出した。口紅であった。姉は婆ちゃんの上唇に、妹は婆ちゃんの下唇に、それぞれ「おめかし」をした。

婆ちゃんが、いつ息を吹き返しても大丈夫なように。


つづく。

4.胃ピヨの家系


「親父のときも、何もできんかった」

父は、めったに吐かない弱音を僕に吐いた。父の親父、つまり僕の爺ちゃんは、阪神タイガースが初めて日本一になった年に胃ガンで亡くなっている。そして今回、婆ちゃんも同じく胃ガンで亡くなった。松岡家は、いわゆる胃ガンの家系なのだ。

婆ちゃんはガンを告知されていなかった。2度も胃を切除した時点でおそらく勘付いていただろうけれど、家族や医者から「言葉」として知らされることはなかった。これは、父が苦渋の末に下した決断ゆえ。

しかし婆ちゃんは、意外な形で自分が胃ガンであることを知ることになる。

亡くなる1週間前、婆ちゃんは救急車で運ばれた。そのとき、救急隊員が苦しむ婆ちゃんを診て一言、こう言い放ったらしい。

「あ、胃ガンですね」

台無しだ。

おかげで婆ちゃんは、すっかり弱気になってしまった。

もう数日も生きられないとあって、親戚が大勢詰め掛けたとき、婆ちゃんは密かに「もう私、アカンのかな」とぽつり漏らしていたという。いきなり大勢が押しかけたのだから、何かを悟ってもおかしくない。

駆けつけた親族は「今日は土曜やから、みんな仕事が休みで来てくれたんやで」と婆ちゃんにフォローをいれていたが、どれほど効果があったかは知らない。とにかくこれで婆ちゃんは自分が「余命いくばくもない存在」であると、自他共に認めたことになったのだった。

それにしてもガンという言葉、何とかならないだろうか。狂牛病がその語感の恐ろしさからBSEと置き換えられたように、もう少し違う言い方があってもいいと思う。

ガンとは極論すれば、病気じゃない。細胞の老化ないし腐敗だと僕は思っている。だから、いずれみんなガンになるし、特別な「病気」でも何でもない。

けれど「あなたはガンです」と言われれば、シャレじゃないけど「ガン!」と脳天を突かれた気持ちになる。「ガン=死」のイメージが蔓延し、病院に足を運ぶことが億劫になり、早期発見の機会を逃すことにもつながる。

例えば「ピヨ」とか「ポツ」とかわいく言い換えてみるのはどうだろう。悪性の細胞がピヨッと現れた、ポツッとある、と軽くとらえられれば、「ようし切除してやる」と思えてくるのではないか。生きる希望をなくさないのではないか。

胃ピヨ。乳ピヨ。子宮ポツ。

日本の医学会にマジメに提言したい。


つづく。

5.ああだこうだの葬式準備


「お布施はいくら包めばええんやろか」

婆ちゃんの死に立ち会った面々(親族のお爺、お婆たち)が集まって、喪主の父を中心に話し合いが始まった。

「戒名(死者につけられる名前)の件やけど、院号(という文字)をお坊さんに付けてもらうと30万円かかるらしい」

「高いわて、それ」

「でも親父(爺ちゃんのこと)にも院号つけたから、お墓で文字のバランスが悪くなるんちゃうか」

「そんなん、別に構わんわて」

「いやいや、院号はあった方がええぞ」

「なんか、戒名なんかもろてもピンとこんわ。私が死んだら、今の名前、そのまま使おてな」

「そんなん、無理やわて」

……戒名からして、収拾がつかない。

お葬式に飾る花はどれにしよう、松コースと竹コースでは値段が違うけど、安くても全然リッパやないか、これにしよう、などと意見が飛び交う。

手元には葬儀屋がもってきたカタログがあり、何をどれくらい用意するかでかかる費用も大きく変わってくるらしい。

死んだ人の手前、質素な式にはしたくない。かといって豪勢にしすぎるのも予算が苦しい。式に誰を何人呼ぶかで用意する弁当の数も変更になったりするわけで。

とにかく決めなきゃいけないことが、山ほどあるのだ。

お葬式は故人のための儀式であるが、実際は故人を思っての「遺族の儀式」であるとも言え、その「思い方」は人によって異なる。宗教や宗派の違い、考え方や思い入れの差から、完全な共通解はない。話がすんなりまとまるはずがない。

ただ、こうして話し合うこと自体に意味があるのかもしれないと、僕は思い始めていた。

「アンタも、よう聞いときや」

どこか上の空でその場にいた「長男」の僕は、将来、喪主になること間違いなし。今後のためにもということで、親戚一同から話し合いに加わるよう促された。

「まあ、私らこんだけやいやい言うてるけど、むかしに比べたら近代的な方やわて」

どこがやねんと言いたかったが、人生の先輩方から言わせればお葬式のスタイルは時代とともにも簡略化が進んでいるようだ。

さて、決まりごとは、まだ決まらない。やるなきゃいけないことも、だんだん増えてきた。僕に至っては、父からこんなことを命じられていた。

「神棚を白い紙で隠しといて」

なんだそりゃ。


つづく。

6.夜通しのロウソク


夜を通すと書いて、お通夜。

お通夜とお葬式の違いが、今回ようやく分かった。お通夜というのは、一般的にはお葬式に都合で出席できない人も焼香(死者を弔うために香を焚くこと)をできるようにと設けられた機会のことである。

お葬式は「友も道連れ」とされる「友引」の日を避ける傾向にある。そうして日取りが逆算されるため、本番には都合で参加できないという人も出てくる。そういう人でも故人への気持ちを表現できるようセッティングされた場、それがお通夜と認識されている。

ところが、もともとお通夜というのは「その人が本当に死んだかどうか」を確定するための「死の判定期間」であり、宗教的な意味合いは実はあまりない。棺桶に入っていた人が実は生きていた、というケースは稀にある話であり、そうした勘違いがないよう、言わば「肉体的に、この人は死んだ」という認印を押すための猶予期間なのだ。

そうした慣習は「ロウソクの火を絶やさずに夜を通す」という儀式でもって現代に受け継がれている。万が一消えてしまったときのために巻線香にも火をつけておくのだが、とにかく朝になるまでロウソクの火を消してはならない。

そのため、親族が交代で夜を徹することになる。

もしも「死の判定」以外にお通夜の意義を見出すとすれば、ひとつは本番(=お葬式)に送り出せるよう遺体を見張ることであり、もうひとつは故人への誠意を見せることだろう。寝ずの番をして、起きている間、遺体の横で故人のことを思ってあげることが何よりの供養というわけだ。

今回、婆ちゃんのお葬式は死後3日目に設定され、その前日がお通夜の日となった。前々日には「仮通夜」なるものまで用意された。お葬式をメインイベントとすると、さしずめお通夜はプレビュー、仮通夜はリハーサルくらいの意味合いか。

お通夜で僕にできるのは、せいぜいロウソクを見張るだけ。要するに「あまりすることのない日」なのである。

かといって気持ち的にもぐっすり眠れるはずはない(だって婆ちゃんが亡くなった直後だもの)。結局、何となく起きていてしまうものであり、無為に疲労がたまっていく。

ややこしいし、疲れるし。

人が亡くなることも大変なことだけれど、人が亡くなった後も大変なものである。


つづく。

7.親族間のおしゃべり


祭儀場にある一室。

葬式を執り行う会場とは別の広間に遺体を家から出棺してきて、親族と共に明日の太陽を待っている。

ロウソクの火を見守りつつ、なんとなくみんな起きている。そんなお通夜の場は、親族同士でゆっくり話ができる機会でもあった。

親族というのは大抵、祝い事や弔い事のあるときにしか集まる機会がないものだから、久しぶりに会って、近況や世間話をするのはなかなかに盛り上がる。

今回は、どうやら松岡家には「指難の相」があるという話が話題に上った。

父は小指の爪を仕事中に切り落としたことがあり、父の従兄弟も同じく仕事中に中指を切断したことがある。祖父や曾祖父にも指のケガがあったそう。ギャルの従姉妹はちょうどこの日、指を骨折していた。

「指が命」のライターである僕も、いつかケガする日が来るのだろうか。嗚呼、怖い。

亡くなった婆ちゃんについてだとか、生前婆ちゃんが住んでいた家をこの先どうするかといった、リアルでホットな話題はあまりしなかった。それよりも、何気ない、他愛もない話を延々とした。眠いのか眠くないのか、よく分からない状態のまま。

そして僕は、使命感に燃えていた。

ロウソクの火を絶やさぬよう見守るのは僕だ。みんなが疲れて布団で横になる中、僕は意地になって、ずっと見張りを続けていた。喪主の息子とはいえ、所詮は孫。大役を任されない「疎外感」が僕を駆り立てていたのかもしれない。

もうすぐ夜が明ける。

むくっと起き始めた誰かに役目を譲り、僕も少しだけ眠らせてもらった。

目を覚ますと、まばゆい朝日が差し込んでいた。驚くことに、すでにみんなは「葬式モード」に突入し、身支度をほぼ完了させていた。

いよいよ婆ちゃんの、お葬式が始まる。


つづく。

8.ラストコンサート


「この度はご愁傷様で」

お通夜に参加しなかった親族も会場入り。地域の「組」の人たちや婆ちゃんに縁のある人たちも、続々と黒い服で現れる。悲報にくれる重苦しい空気がいたたまれない。

奥には棺が配置され、装飾が施され、立派なお供えものが眼前に見える。結局、式にはそれなりの金額をかけることにしたようだ。

そろそろ、お葬式の始まる時間。

親等順に位置が決められたパイプ椅子に、出席者みな腰掛ける。会場の後方から、お坊さんも満を持して会場入り。メイン1人に、サブ4人。多くないか? お布施はひとりいくらだろうかと気が気でない。

所定の位置につくお坊さん。5人がお経を唱和する。一定の高さの声と木魚の響き、ポイント、ポイントで鳴るチーンの音色。婆ちゃんをあの世へと送り届ける、それはまるでラストコンサート。

近年は「音楽葬」といって、死者が生前に好きだった音楽をかける葬式スタイルもあると聞く。それで言うなら、うちの婆ちゃんは五木ひろしの歌が相応しい。だって病床でもイヤホンで聞かせて励ましたくらいだもの。

しかし今回は、実にオーソドックスな仏式スタイルで葬式は進行していった。

読経が終わり、棺の蓋が開けられ、婆ちゃんと最後のお別れの時間を迎えた。参列者ひとりひとりが一輪の花を手に、婆ちゃんの体の周りに添えていく。

「お婆ちゃん、よく頑張ったね」
「お婆ちゃん、あっちでも元気でね」
「お婆ちゃん、今までありがとう」

泣き声と、はなむけの言葉。黒い服の群がりが、花で埋まった婆ちゃんの棺を一層、華やかに引き立てていた。


つづく。

9.死者の旅立ち


婆ちゃんの顔は硬直していた。

花を添え、声をかけながら頬を撫でると、僕の手は肌の硬さを感じ取った。婆ちゃんは、もう死んで、魂が抜けた物体になってしまったのだ。

このとき生者である僕は、死者を「死者である」と本質的に理解した。

一方、死者の側も自身を「死者」と理解してもらわなくてはならない。「まだ私は生きている」と言って化けて帰って来られては困る。

だから、生者はみんな黒の喪服を着る。

本来、冠婚葬祭にまつわる服装は「白」が基本とされていた。だから、死者に「もう自分は死んだんだ」「自分がいるべきは、この世ではないんだ」ということを分かってもらうために、生者は「逆の世界」を表現する。屏風を逆さにしたりするのも、こういう思想が背景にある。よって服装も白の反対、黒を着るのである。

そういえば幽霊のイメージは「白」装束。まだ死にきれないという証を表現しているのだろう。

僕を含む男手6人で、婆ちゃんの棺を霊柩車まで運ぶ。棺の底が濡れていたのは、婆ちゃんが最期の涙を流したからだろうか。

パパァァァァァァァァァァッ!

出棺(家から棺を運び出す)の時と同じく、霊柩車のクラクションが鳴り響く。向かうは火葬場だ。

できるだけ親等の近い親族がバスに同乗し、遺体を燃やす現場へ直行する。それ以外の参列者とは、ここでお別れ。座席の後ろを振り返ると、黒い人だかりがみな沈痛な面持ちで両手を合わせていた。

火葬場へ向かう車内でも、誰一人、声を発しなかった。そう、事情がよく飲み込めない幼子たちを除いては。


つづく。

10.煙突と太陽


婆ちゃんが骨になる場所に到着。

アルバイトなのか、葬儀屋の社員なのか、手際のいい人たちが棺を車から運び出す。棺はかまどの前に設置され、親族は火葬についての案内を受ける。

館内ガイドの説明は手慣れていて、まったくよどみがない。どこどこの部位の骨は燃えにくい、なんて話に「ほほう」と一同聞き入る様は、まるで博物館の見学みたいである。

そして火葬場への出席を許された近しい親族のみに許される、最後の最後の別れの挨拶。

「婆ちゃん、これでほんとに最後やね。今までありがとう、さようなら」

全員が一声かけた後、いよいよ棺はかまどの中へ。

「ちょっと待って、もっかい顔が見たい」

というのは通じない。婆ちゃん以外にも、この日に燃やされる遺体で火葬場は予定がいっぱいなのだ。タイトなスケジュールで事務的にコトは進んでいく。

ゴォォォォォォバチバチバチ……

けたたましい「燃える音」を後にし、骨と化す時間を待って、僕たちは一旦バスで引き上げた。窓から外を見上げると、長い煙突から黒い煙がとめどなく噴き出していた。

いま、婆ちゃんは、燃えている。

煙突の向こうの爽やかな太陽が「これは希望の旅立ちなのだ」とかろうじて励ましてくれたようだった。

あの煙突と太陽のコントラストを、僕は一生忘れない。


つづく。

11.進まない箸


お寺に帰ってくると、塩を手にふりかけて中に入るように言われた。

「婆ちゃんは汚くないぞ」と心中穏やかではなかったが、事実として遺体の腐敗はミクロレベルで進行しつつあるわけで、それを触った手でご飯を食べるのはさすがに衛生的によろしくない。

いや、それよりもメンタルの部分、しきたりの部分で清めの塩が義務付けられていたと言っていいだろう。

まったくお葬式は、決まりごとだらけ。

そして椅子に腰掛けると、目の前には豪華なお弁当。腹は減っているけれど、なんとなく箸を進める気がしない。じっとおかずを見つめていると、喪主である父が一同に語り始めた。

「今日はみなさん、ありがとうございました。母もさぞ喜んでいることと思います」

精神的に最もツライはずの父は、逆に最も毅然とした態度を求められる。それが喪主というものらしい。

簡単な挨拶が終わり、「いただきます」の掛け声などもなく、参列者みな淡々と弁当を食べ始める。父は休む間もなく、偉い人順に次々とお酒を注ぎ始めた。なんて大変な役回りだろうか。

僕は姉の横で静かに箸を動かしていた。味はきっと美味いのだろうけど、やっぱりこの状況では美味しくない。申し訳ないと思いつつ、豪勢な弁当の大半を残してしまった。周りを見渡しても似たような感じであった。

歓談というか哀談とでも言うべき妙な雰囲気で約1時間ほどが経ち、そろそろ「骨あげ」の時間という知らせ。またも同じバスに乗り、火葬場へと向かうのだ。

お葬式は、いよいよクライマックス。

婆ちゃんが亡くなった時点で物語はすでにバッドエンドなのだけれど、式自体はハッピーエンドに向かうような、妙なエピローグ。

どことなく、バスも軽快だ。


つづく。

12.ただの物体でしかない骨


煙突からの煙は、もうなかった。すでに婆ちゃんの身体は焼き上がった後である。

かまどの前にはすでに骨と化した「婆ちゃんらしき姿」がある。手足の骨が位置通りにあるので「人が燃えて骨になった」ことは分かるが、本当にそれが婆ちゃんの遺体だったのか、今となっては知る由もない。

親族のみんなも、似たような心境だったのかもしれない。きっと「婆ちゃんの骨」だろうけれど100%の確信は持てない「人の骨」に、博物館見学の気分ふたたび。

あれほどわんわん泣いていたギャルの従姉妹たちも「これが首の骨やね」などと冷静に、長い箸を使って「骨あげ」をしている。

そのギャップに驚くが、それはもう、骨がただの物体でしかないことの証。婆ちゃんの心は、すでにみんなの胸の中。

できるだけ形のキレイな骨を入れてあげてね、と案内するガイドのお姉さん。弁当のおかずを盛り付けるように箸で遺骨を骨壷に入れる仕草は手際良い。僕も欠片2つほど骨壷に入れさせてもらった。

不思議ともう、悲しさは消えていた。長かったお葬式が終わった。

婆ちゃん、少しの間、さようなら。


つづく。

13.葬式が仏式である理由


あれから歳月が流れた。婆ちゃんに対する悲しみは「胸にしまう」というやり方で、表面上は見せずに済むようになっていた。

一方で僕は「お葬式」というものが気になっていた。

お葬式って、大体ああいうものなのだろうか。
お葬式って、そもそも何なのだろうか。

僕は書店で一冊の本を手にした。ひろさちや著『お葬式をどうするか −日本人の宗教と習俗−』という本だ。そこには僕の疑問を一掃する強い一言が明記されていた。

「お葬式は、習俗である」

なるほど、やはりそうなのか。

思うに日本は「無宗教」の国である。仏教の考えはわりと浸透している方だが、宗派の違いまではほとんど認識されていない。また、日本人はクリスマスにお祝いをするなど他宗教の行事も取り入れている。儒教の考え方に影響を受けている部分もあるだろう。

要するに何でもありだ。

にも関わらず、現代の葬式は「仏式」がほとんどである。そこで僕は疑問に思う。

「宗教とお葬式の関係ってどうなってるの?」

日本が「仏教的」であることは疑いようもないが、仏教徒でもないのに仏式のスタイルでお葬式を執り行うのはなぜなのか。昔から「そういうもの」なのか。

そこに光を差してくれたのが「お葬式は、習俗である」という言葉。葬式というものは、宗教以前に、民衆の間で連綿と執り行われてきた「民族の慣習」なのである。

日本の歴史を紐解けば、こういうことだ。

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にわかには信じがたいが、仏教というのはもともと葬式を重視しておらず、お坊さんも昔から葬式をしていたわけではなかった。

一方、葬式自体は古来から行われていた。神職(=神主)を務める村の村長が神道に基づいて行ってきた。神道とは「日本人の宗教」とでも言うべきもので、民族独自のものの考え方のこと。

しかし時は江戸時代。なぜか仏式の葬式スタイルが一般化するようになった。それは幕府の強引な政策によるものだった。

「キリシタンを取り締まれ」

大号令が響き渡った江戸の頃、キリシタンの弾圧が始まった。そして彼らキリシタンを見分けるために出された策が、

「これからは坊さんが葬式を行え」

というものだった。キリシタンが信仰心のもとキリスト教のスタイルで葬式を行っているのを「浮き彫り」にするため、仏式を民衆に一般化させたのだ。

その前提として幕府は檀家制度を作り、日本人全員をお寺に登録させた。お寺が役所の戸籍係の役目を担い、そこに登録していない者(=非仏教徒)を見抜く意味合いがあった。

坊さんは戸惑った。これまで仏教徒ではない民に対して葬式を行ってこなかったので、そのやり方に困ったのだ。ただ僧侶仲間の葬式自体は行っていたので、それを民に転用することにした。

坊さんは死者に「戒名」をつけることにした。要するに死んだ時点でその人を「出家(=仏教に入門)した」と見なすことにした。即席ではあるけれど、あくまで仲間である仏教徒に対して葬式を行う、という体裁を取ったのだ。

他にも「お経」というのは出席者に聞かせているのではなく、入門したての死者に急いで仏教を勉強させている、という意味があるらしい。

現代の日本で一般化しているお葬式は、そうした江戸時代からの流れをそのまま継承している。「死んだ時点で仏教徒」という儀式が今では歴史を知られることなく、しめやかに全国各地で行われているのだ。

※東北など地方によっては旧来の儀式がそのまま継承されているケースも多い

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そういえば僕は父に「神棚を白い紙で隠せ」と言付けされたことがあった。あれは要するに「これから仏式のスタイルで儀式を行うから(神道の)神様はお休みしててね」という意味だったらしい。

父でさえ、その意味するところまでは分かっていなかったように思う。


つづく。

14.仏教の悪ノリ


先述のひろさちや氏は著書でこう述べている。曰く「仏教は悪乗りをした」と。

以下、著作より引用。

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これらの諸政策は、決して幕府がお寺を保護するために行ったことではなく、あくまでキリシタンの弾圧のためでした。キリシタン式の儀式をやらせないようにするための宗教政策だったのです。

ところが、仏教はそこに悪乗りしました。つまり、お葬式が終わればそれでおしまいということにはせず、一周忌、三回忌、七回忌……三十三回忌などという年忌法要を制度的に付随させたわけです。

(中略)

そのようにして法事や追善供養の理論を作り上げ、財政の基盤としました。

江戸時代の仏教は、神道や儒教、その他なにもかも取り入れて、ご先祖さまの崇拝、先祖供養ということを庶民の間に植えつけました。その風潮は、最近にまで引き継がれています。だからわたしは「悪乗り」だと言っているのです。

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先祖供養をしないから祟りがある、不幸になる。そうした脅しでお布施を暗に強要している、という意見だ。

これは全てのお寺には当てはまらない。上田紀行著『がんばれ仏教! お寺ルネサンスの時代』に詳しいが「イベント寺」や「物言う僧侶」の登場で、お寺改革(というよりお坊さんの意識改革)は現在すでに始まっている。

しかし、まだまだそういう悪乗りの「風潮」が「しきたり」として残されているケースは多い。問題なのは、こうした背景があまり知られていないことだろう。普段から葬式の知識を蓄えている人はそうはいまい。

ただ、「先祖を供養する」というのは要するに「自分のため」である。どれほどの人が意識しているか分からないが「故人を思って」というのは実は「自分の心の処理の問題」なのだ。

だから葬式仏教と揶揄される「(葬式の時だけ顔を出す)都合のいい仏教」が悪乗りであれ何であれ、自分の問題として「仏式の葬式が一番」だと思うなら、それでいい。正しい情報を知り、それとどう付き合うかは人それぞれだと僕は思う。

それにしても「仏教が悪乗りをした」という側面を、今回初めて知って驚いた。

そして、葬式に「乗っかる」ものは、それだけではない。


つづく。

15.拡大する葬儀ビジネス


結婚式を予定している友人が費用に困っているというので「カメラマンなら安く紹介するよ」とアドバイスしたところ、こんな話を聞いた。

「カメラマンは式場専属の人しか使えず、外部の人を使うと別途費用が発生する」

冠婚葬祭は、良い悪いは別として、大きなビジネスチャンスである。人生における数少ない晴れ舞台、もしくは締めくくり。そこには大きなお金が動く。そして社会が超高齢化しつつある日本においては「福祉ビジネス」と並んで「葬儀ビジネス」の拡大がこのところ顕著だ。

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葬儀ビジネスにはどういうものがあるだろうか。まずは葬式自体を一手に引き受ける総合業者の存在が挙げられる。

葬祭業は遺体、宗教、関連法規など多方面に渡る知識が要求されるため「じゃあ明日から始めます」というわけにはいかないが、免許は特に必要がなく、法制上の敷居は低い。

中には坊さんと結託して、葬儀のチャンスを回してもらう業者も多い。口利きをした坊さんにはバックマージンが入る寸法だ。

そこまであくどくなくても、葬儀費用がべらぼうに高いことはままある。「亡くなった方のためにも、いいお葬式にしましょうよ」などと吹聴するのは「それが故人に対するせめてもの報い」と思わせる一見優しい言葉であるが、結果、法外な費用の負担を遺族は強いられている。本来の宗教心とはかけ離れた儲け主義だ。

ビジネスなのだから「売上の拡大」を図ることは当然だが、どうも釈然としない。それは、戒名に院号をつけると30万円などという一般的な金銭感覚を越えた価格設定に対する不信感や、付け入る隙に付け込まれた感があるからだろう。


次に、葬儀にまつわる「サービス」を提供する業者の存在が挙げられる。「拡大」しているのは、ここだ。市場規模の拡大もそうだが、サービスの種類自体も多岐に渡っている。

例えば遺品処分のサービス。必要なものを梱包し、遺族宅へ配送してくれ、人形や衣類、家具など「憑きそうなもの」の合同供養も行う。

あるいは故人を偲ぶ「思いでアルバム」の作成サービス。故人の生い立ちやエピソードを挿入する形で「記憶のお手伝い」をしてくれる。

他にも祭壇をデコレートする会社など、趣向は様々だ。

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良きにしろ悪しきにしろ、とにかく賑やかな葬儀ビジネス。

かつてほど葬儀業界がタブー視されなくなってきたことやインターネットの普及で情報の透明化に拍車がかかり、価格はより「適性」にはなり始めている。合理化を徹底する外資企業の参入も増え、葬式にまつわるあれこれがじわじわと「真っ当」になってきているのだ。

しかし大事なことを僕らは忘れていまいか?


つづく。

16.悲しみ緩和システム


インフォームド・コンセントは一般に浸透してきたように思う。自分の病気のことを知る権利、という当たり前のものがようやく認識され始めてきた。また、主治医以外の医師の意見「セカンド・オピニオン」も重要視されてきた。

お葬式に関しても、事前に情報を知る権利はあって然るべき。

確かにこれまでは、雪だるま式に次々と関連業者を紹介され、いつの間にか見積もりがウン百万円を越えていたというケースが少なくなかった。しかしタブーがなくなってきたことから、費用面も含め「どういう葬式にするか」という「選択」を僕たち自身ができる世の中になりつつある。

お葬式も、賢く行う時代だ。

それはそれで、いいことだと思う。法外な費用を請求されなくて済むし、何より自分自身に納得がいく。アメリカも80年代までは葬儀に関して「不透明な商取引」が横行していたようだが、時代の流れは透明化に歩を進めた。日本もそれに追随している。

ただ、一方で「心」が薄れていく気が僕はする。

確かに費用を吊り上げられないよう予防線を張って、悪徳ビジネスに屈しない姿勢でいることも大事だが、一番大事なのは「故人を偲ぶ気持ち」であり、他のことに気を取られるのは残念に思う。

合理化が進み、費用のかかるものはカット。その流れで、意味のない(正確には、意味の分からない)しきたりを一掃省いていく傾向に拍車がかかるだろう。

本当にそれでいいのだろうか。

確かに仏教が悪乗りした面もあるだろう。あらゆる宗教の影響がごちゃまぜになり、納得できない、面倒くさいしきたりもあるだろう。昔の人がやっていた、という「だけ」では継承するに値しないと言うのも分かる。

しかし僕から言わせれば、逆に「昔の人がやっていた」という部分に「だけ」意義を感じてしまう。

自身の経験に照らし合わせてみる。

婆ちゃんが亡くなった。時待たずして、お葬式本番に向けた忙しい日々が始まった。よく分からないしきたりに従うだけで精一杯だった。

おかげで、悲しみを「直後」に味わうことはなかった。

忙しさに時間を取られる中で悲しみの心は一時的に封印され、日が経った頃には一定の落ち着きを見せていた。穏やかな気持ちで婆ちゃんの死を受け入れる準備ができていた。

お葬式というシステムは、実は「悲しみの緩和」を促す装置であると思う。故人を偲ぶ場である以上に、遺族の気持ちを整理させてくれるものだと思う。

だから、しきたりひとつひとつを「無意味だ」と悉く切り捨てる必要はない。ただこなせばいいのだ。そのうち、悲しさは軽減されている。打ちひしがれ、明日の生きる活力を損なうような絶望的なまでの悲しさは、気付けば許容範囲にまで縮小されている。

昔の人がやっていて、それが今でも続いているのは、経緯はどうあれ要するに「知恵」だ。先祖が残してくれた贈り物だ。

お葬式とは「SOいうもの」だ。


つづく。

17.葬式はSO式


世の中は11次元でできている。

そんな「超ひも理論」と呼ばれる考え方を、世界中の天才たちが証明しようと勤しんでいる。物理学の秀才たちが「我こそは」と解明に挑んでいる。

しかし今のところ、何ひとつ証明されていない。

超ひも理論は「こうじゃないと、辻褄が合わない」という考え方(演繹法)から導き出された理論であり、本当に学術的に正しいのかどうか世界中で注目されている。にも関わらず、決定的な成果はまだ上がっていないのが現状だ。

それでいい、と僕は思う。

仮に、万物の理論とも言われる超ひも理論、つまり「世の中のすべてが書かれたルールブック」がつまびらかにされてしまったとしら、人間は一体どうなるのだろう。どこへ向かえばいいのだろう。

謎を解決しようとする意欲を失い、目的をなくし、衰退の一途を辿るのではないだろうか。オカルト的なことを言えば、万物の理論が解明されそうになったら「神様」が人間を滅ぼすのではないだろうか。映画『マトリックス』に登場したアーキテクト(創造者)が、世界をそっくり作り替えることになるのではないだろうか。

謎は、謎のままでいい。

ことお葬式に関しては「畏怖」という気持ちが大事なように思う。霊だの魂だのはよく分からないけれど、そういう得体の知れないものに対して畏怖の念を抱くことは、人間を人間らしくする「先人の知恵」とは言えまいか。

そこに付け込まれる悪徳ビジネスには注意を払いたいが、畏れを抱き、先祖を敬い、何より故人を偲ぶ。昨日まで生きていた「愛する人」が「別の世界」に旅立ったことを、理論や意味など無視して「そういうもの」だと受け入れることが大事だと僕は思う。

その過程にあるお葬式もまた、SOいうものだ。受け入れることから始めたいものだ。

お葬式は「SO式」だ。

 

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「親が亡くなって自分が喪主になったら、どういうお葬式にしますか?」

僕なら、親の意向はもちろん汲みたい。葬式スタイルの希望を事前に聞いていれば、それを形にするのみ。ただ、それすらも伝え聞かないまま親が亡くなってしまったとしたら、父が婆ちゃんに捧げたお葬式のやり方を、僕はそのまま継承しようと思っている。無意味な出費は抑えたいが、合理化するほど野暮ではない。

僕自身の葬式も、音楽葬だの宇宙葬だの、奇をてらったことは今のところ望まない。息子や娘が(まだいないけど)そのまま従来のやり方で引き継いでくれればいい。

父や母の死は、遅かれ早かれ、いずれやってくる。そのとき僕は、喪主として、息子や娘にきっとこう言うのだ。

「神棚、白い紙で隠しといて」


おわり。


※本文では便宜上、葬式と告別式を区別せず
 まとめて「お葬式」「式」と表現しましたが
 葬式と告別式は本来、別物です。

※参考文献
 『お葬式をどうするか −日本人の宗教と習俗−』ひろさちや著
 『葬式 −あの世への民族−』須藤功著
 『がんばれ仏教! お寺ルネサンスの時代』上田紀行著
 日経MJ2005年9月7日版


2006.10.11
松岡厚志


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