こどもの頃に書いた文集。
そこには恐るべきルーツが眠っていた。



1.ボクの尊敬する人


誰しも「消してしまいたい過去」というのがあるはずだ。いくつになっても喉に小骨が刺さったような、拭い難い記憶。決してなかったことにはできず、向き合って生きていかざるを得ない汚点。

僕にもある。中学入学時に書いた文集である。それは文集というよりは自己紹介書のようなもので、新しいお友達に「自分はこういう人間ですよ」と挨拶代わりにアンケートに答え、それを冊子にしてクラスメイトで回覧するというものだった。

僕は、こんなことを書いたと記憶している。

 

尊敬する人:自分

 

もう、死んでしまいたい。
顔から火が出るどころか、火あぶりにしてほしい。

普通は長嶋茂雄とかアイルトン・セナといった有名人の名前や、できた子供だと「お父さん」「お母さん」と答えるものだ。それをまさか、よりによって「自分」とは。中学生活のスタートを自画自賛で始めるとは。

あれから16年。今この場に当時のクラスメイトを集め、弁解させてもらえる余地があるのなら、少しだけ話をさせて欲しい。

あれは「奇をてらったもの」である。12歳、13歳クラスの人間なら有名人や両親という模範解答を書くべきだろうという暗黙のムードに風穴を開けたかっただけである。正しい答えというのは必ずしも正しいとは限らないんだぞということを暗に伝えたかっただけである。

という、たった今思いついた後出しジャンケン的な言い訳でもって、過去をベールに包んでいただけないだろうか。

認める。ちょっとだけ「自分イケてる」と思っていたことを。勉強も、運動も、女子の人気もトップクラスだった(と同時にこれが人生のピークだった)小学生時代の栄光を引きずったまま、新しいクラスに無防備で乗り込んできたことを。

だからつい、ものの弾みで「尊敬する人:自分」と書いてしまったのだ。

心の底から許してほしい。

 

ちなみに、この話には続きがある。この文集、全員で回覧するだけならまだしも、ひとりひとり教壇に立って、その内容を口頭で発表していったのだ。不幸なことに、僕はこの時点ではまだ「尊敬する人:自分」という回答が残念なものであることに気づいていなかったばかりか、みんなのリアクションが楽しみで発表を待ちわびてさえいたのである。

僕の番がやってきた。
教壇に立ち、クラスメイトの前で自分の名前を紹介し、将来の夢などについて記述通りに語り始めた。そして、アレを答えるときがきた。

 

「尊敬する人は、自分です」

 

クラスは無重力空間に投げ出されたかのように静まり返った。まさに「無音」。教壇から見渡したクラスメイト達の目は魚のように死んでいた。

僕はこのとき、生まれて初めて「場の空気」というのを知った。

 

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このように、過去の文集には恥ずかしいエピソードが詰まっている。しかし見方を変えれば、そこには「三つ子の魂百まで」的な、今では忘れてしまった己のルーツが残されているはずである。

僕は実家の押入れから文集を引っ張り出して、過去と向き合うことにした。それが「明日」への道につながる気がして(なんとなく)。

 

つづく。

2.ボクの頑張ること


押入れの中からは、いくつかの文集が見つかった。

新しいものから順に遡っていくことで、三つ子の魂をクリアなものに浮かび上がらせたいと思う。

まずは中学入学時の文集。先の「回答集」とは別に、文章でも綴っていたのである。

とくとご覧頂きたい。

 


中学生になって


 ぼくが中学生になって一番にしたいことは友達づくりです。○○少学校、○○東小学校、△△小学校の三つの小学校の人が集まってきて二百八十三人もいるのでこれは絶好のきかいだと思います。今まで友達をたくさんつくってきたけれども、今回の友達づくりはさらにたくさんできそうです。さらに二百八十三人もいるのだから、今までいっしょだった人、昔一度合った事がある人、自分よりかしこい人、自分より背の高い人、自分よりスポーツがうまい人、やさしい人、おもしろい人と、自分とちがった面をもっている人が必ずいて、友達になってくれたらいいと思う人がかなりいます。これは本当にいいきかいだと思いました。

 そしてぼくが中学生になって二番目にしたいことは部活です。まだぼくは何部に入るかはあまり決めてはいないけれども、とにかくぼくは部活をがんばりたいです。部活が終わって帰れる時間を見てもたしかに部活はきびしそうです。しかし、汗を流して家に帰り、ゆっくり休めばやってよかったなとくいは残さないと思います。さらにいっしょに友達と汗を流せばその相手となんとなく友達になれそうな気がします。ということで一番にやりたいことと結びついて二番目にやりたいことは部活です。

 そして最後に三番目にしたいことはやっぱり勉強です。中学校ではさらに英語や地理などの新しい教科もふえ、教科書も小学校の時と比べれば二倍、三倍とぶ厚くなりました。たしかに勉強は、むずかしくて頭がいたくなったりしてやりたくないという面もありますが、でも、せめて最後だけでも、おもいきり集中してやってみたいです。

 ぼくは以上の三つを中学生になってがんばってやってみたいなと思いました。

 


突っ込みどころが多すぎて頭を抱える。

まず宣言しているのが「友達づくり」。友達100人できるかなと期待に胸ふくらませるランドセル1年生ならまだしも、齢すでに12歳。もうすぐ13歳の誕生日である。小学校6年間で何を学んできたのだろう。

友達は「つくる」ものではなく「できる」ものであることに、なぜ気づけていなかったのだろう。「つくろう」と思ってクラスの全員と仲良くできたことがあったか? 苦手な奴というのは1人もいなかったか? そんなことはない。「気の合う奴」だけが自然と傍にいたはずである。

改めて「宣言」しているところが情けない。

 

次に「部活」について。今でもハッキリ覚えている。僕は野球部、水泳部、陸上部、バレーボール部、この4つの選択肢に揺れていた。野球は小学3年の頃からやっていて、水泳はもっと前からやっていた。陸上は足に自信があって6年間ずっとトップクラスだった(右太ももの肉離れを起こすという小学生にあるまじきアスリート的な理由で棒に振った1年間を除く)。そしてバレーボールは母や姉の影響で興味があった。

最終的に、僕はバレーボール部を選んだ。たぶん理由は「男なのにバレーボールというのが逆に新しい」と思えたからだ。僕らよりずっと前の世代では「バレー部男子」はモテの対象だったと母は言っていたが、当時は随分と下火であった(今ほどじゃないけど)。だから「逆にアリ」と思えたのである。経験を積んできた野球、水泳、可能性を秘めた陸上を無下にして「バレーやってる男子」というレアなポジションの獲得に魂を売ったのである。

そして文集から分かるのは、そのスポーツが好きで入部するというよりは「どれが一番モテるか」という答えを出すのに幾日かを要し、なお迷っている様である。「とにかく頑張る」というのは聞こえの良い「本音の隠蔽」に過ぎない 。

 

そして最後に「勉強」について。何をもって「せめて最後だけでも」と言っているのだろう。義務教育の後半(中学3年間)を指しているのだろうか。もう前半(小学6年間)の二の轍を踏まない的なことを言いたいのだろうか。

文章の中で、ある一部分に関して誇れるところがある。「最後だけでも、思いきり集中してやってみたい」という箇所。これについて有言実行しているのである。

僕は定期テストの勉強を死ぬほどした。いや、言い方が正しくない。定期テストの前日「だけ」は死ぬほど勉強した。テストの前日、つまり「最後のあと1日」だけ集中したのである。おかげで点数は悪くなかったが、いま思えば真面目に勉強に取り組んだのは「テストの前日だけ」であり、テスト日と同等の日数しか勉強しなかった。

こういう手抜きは明るみに出るもので、教科書の内容に沿わない「実力テスト」は惨憺たる結果であった。ついでに言えば、高校受験も失敗した。ツケは回るものである。

 

さらに過去の文集に遡るのが怖い。

怖いけど、つづく。

3.ボクのゆめ


夢を叶えた成功者は世にたくさんいるが、子供の頃に書いた文集通りの人生を歩んだ、最もインパクト大の成功者は松坂大輔だろう。言わずと知れた甲子園のヒーロー。現メジャーリーグ、ボストン・レッドソックス投手の「Dice-K」である。

彼は小学生時代の文集に、こんなことを書いていた。

 

甲子園で優勝する

ドラフト1位でプロになる

100億円プレーヤーになる

 

「まんま」の人生である。もはや文集が「預言書」である。本気でそう思っていたのか、うっかり文集に書いてしまったから有言実行しようと努力したのかは、当時の松坂少年に聞いてみる他ない。しかしここまで「的中」させるのは、末恐ろしいものがある。「末」というか、すでに恐ろしいけれど。

 

文集の定番は「将来のゆめ」だ。僕にも昔は「ゆめ」があり、小学4年の頃にきちんと書面に残している。まさか後の自分に読み返され、インターネットの大海原に投げ出されるとも知らずに。

 


自分のゆめ


 ぼくが、もし、マンガ家になったら、単行本をたくさん出して、子どもから、大人まで、みんな楽しんでもらえるまん画を書きたいです。

 ぼくのゆめは、たったそれだけではありません。まだ、ぼくは、けいさつかんや、野球選手、水泳選手にも、なりたいです。

 なぜ、ぼくが、マンガ家や、野球選手になりたいかというと、マンガ家は、みんなから、絵がうまいと言われるし、けいさつかんは、正ぎの味方でかっこいいし、野球選手や、水泳選手は、いまならっていて、ずっと続けると、その力を出せるからです。

 みんなは、どんなゆめをもっていますか。またぼくに、教えて下さい。

 

 

マンガ家になることを「たったそれだけ」と言い放っているところに、人生をナメた様子がうかがえる。しかも冒頭に「マンガ家になりたいです」と書かず、すでに自分の中で「前提」となっていることにも驚く。その「ゆめ」をあらかじめ聞かされていた友だちなら納得するかもしれないが、あまりにも唐突すぎやしないだろうか。

そして「たったそれだけ」ではない警察官、野球選手、水泳選手にもなりたいと10歳の松岡少年はのたまう。

警察官については、後で触れたいと思う。野球選手、水泳選手については気持ちは分かる。まだ習い始めたばかりだったし、自分の可能性を誰よりも信じている超ポジティブ・シンキングの僕だからこそ、習い事の先に「プロ」が見えていたからだ。

見えていたというのは「可能性があった」ということではなく「そうなるはずだ」という根拠のない自信があったということだ。根拠はないのに自信はあるから努力はしない。こういう悪循環を僕は様々な場面で発揮し、何ひとつ身につくことはなかったことを思い出した。

 

そして最後に、僕はこんな言葉で締めくくっている。

 

みんなは、どんなゆめをもっていますか。
またぼくに、教えて下さい。

 

「ゆめ」は多い方が良いよ、たくさん並べられる僕エライでしょ。という、周りを見下した態度が垣間見える。この文面だけを見れば「純粋な少年」に映るが、本人が述懐するのだから間違いない。僕は「ゆめ」を語ることに優越感を持ち、周囲に教化するポジションにあると自惚れていたのである。

 

さらに2年前の文集に遡ることにする。
もう、怖いものはない。

つづく。

4.ボクの思い出


文集は「ゆめ」や「決意」を語るだけではない。振り返って文章にしたためることも大事な学習のひとつ。「思い出」は格好の文集ネタである。

小学2年。御年8歳。欲望むき出しの餓鬼、畜生の頃である。このとき書いた文章を読み返した僕は、さすがに戦慄が走ったと言わざるを得ない。

ど、どうぞ。

 


マラソン大会


 ぼくは、マラソン大会の日まで楽しみにしていました。2いまでに入ったらとてもほしいものを買ってくれるからです。

 スタートの合図がなってぼくはすぐ走りました。うんどう場のはじめは、はやかったけど、と中になったら2人にぬかれました。ぼくはとてもほしいものが買ってもらえなくなったらせっかく買ってもられると思っていたのに買ってもらえなかったらいやだなあと思ってゴールがちかくになるとさい後の力を出して走りました。

 ゴールが見えてくると、1年生や2年生の女の子がまっていて、ぼくは、1年生の一番大すきな友だちに負けないように走りました。

 でも3いだったのでがっかりしました。でも3いにでもなれたから、自分のお金で買っていいといってくれたからうれしかったです。

 

 

2位までに入ったら買ってもらえるものは何だったのか、今となっては思い出せない。1位を設定しないのもせこい。とにかく「モノ欲しさ」に駆け抜けたことだけは間違いない。マラソンが楽しみだったというよりも、マラソンで2位以内に入ってモノを買ってもらえることが楽しみだったのである。

それは、この回りくどい(というか文章力が追いついていない)文章を読めば伝わってくる。

 

ぼくはとてもほしいものが買ってもらえなくなったら
せっかく買ってもられると思っていたのに
買ってもらえなかったらいやだなあと思って

 

うまく言葉にできない「モノ欲しさ」が見て取れる。ヨダレを垂らすような物欲が、ものの見事に表現されている。これは自画自賛させてもらえるなら「名文」の域である。

 

欲望の現れはもうひとつある。

 

ゴールが見えてくると、
1年生や2年生の女の子がまっていて、
ぼくは、1年生の一番大すきな友だちに
負けないように走りました。

 

女子がゴールテープの向こうに「待っている」光景がたまらなかったのだろう。そして「一番大すき」な友だちを抜かして勝つ(=勝利を見せつける)ことが女子へのアピールになると思っていたのだろう。

嫌いな奴に勝つなら分かるが、よりによって一番の友だちを負かすことはないではないか。目的のためなら手段を選ばない。自分のためなら周囲の犠牲を厭わない。これを「何欲」と言えばいいのか分からないが、とにかく「ヤな奴」ということだけは分かった。

 

残る文集は、あと2つ。

早く終わってくれ。つづく。

5.ボクの穢れなきころ


小学1年生というのは、最もピカピカであると僕は考える。

幼稚園や保育園でも人間関係やルールを学ぶことはあるが、社会という名の大宇宙に初めて本格的に足を踏み入れるのは小学1年の頃で、これから「色んなこと」を知る前段階にある。だから最も純粋で、ピュアで、このまま成長してほしいとさえ思う。

そんな「微笑ましい」頃の文集が見つかった。

リラックスして、どうぞ。

 


どんぐりごま


 ぼくは、どんぐりごまを、つくって、しっぱいしました。どうして、しっぱいしたかというと、どんぐりが、ほそながくって、どんぐりが、こわれたからです。そして、いえで、いろんなものを、どんぐりでつくって、あそびたいです。でもひとりぼっちじゃさびしいので、ひろしくんや、けんのすけくんを、さそっていっしょにあそびます。なにをつくるかせんせいは、わかっていますか。それは、きりんと、やじろべえとこまです。またつくれたらいろんなものをつくってみたいです。そして、けんのすけくんとひろしくんと、だれが一ばんたくさんつくれるかやってみたいです。

 

 

カワイイなあ、我ながら。まず失敗したことを語っているのが好感である。どんぐりのせいにしているのは目をつぶっていただくとして、とにかく「うまくいかなかったこと」を振り返る姿勢は良しとしたい。

「ひとりぼっちじゃさびしい」と、大人になってからは口が裂けても言えないようなキューティクルなセリフもリアリティがある。「ひろしくん」や「けんのすけくん」など実名を出しているところも、本気で彼らのことを友だちと思っていたのだろうと予想できる。穢れを知らない天使がそこにいる。

この1年後、まさか女子の前で一番の友だちを「出し抜く」ようになるなんて。

小学校というのは、げに恐ろしいものである。

 

ようやく最後の文集です…。

つづく。

6.ボクの原点


3歳の頃の文集があったなら、何を書いていたのだろうと思う。「三つ子の魂百まで」を実証するためにも「3歳児におけるゆめ及び思い出を綴ること」を国民の義務にしたら面白いのに。そんな文章力のある3歳児も恐ろしいが。

さて、僕の最古の文集が見つかった。書いた文章はこれより古いものもあるだろうが、文集として現存するものの中ではこれが最古である。

以下、幼稚園の卒園時に書かれた文集のお披露目をもって、この企画をおしまいにしたいと思う。コーナーは3つあるので、まずは1つ目の「思い出」から。

 


幼稚園の思い出


 ぼくはかるたとりだいかいがたのしかったです。どうしてかというとかるたとりだいかいでメダルをもらったからです。そして2いだったけどがんばって18枚もとりました。そしておかあさんとおとうさんにみせてあげたらよろこんでくれました。そしてがっこうには、かるたとりだいかいなんかないからおうちでがんばってれんしゅうします。そしてみんなにまけないようにれんしゅうします。

 

 

小学2年時のマラソン大会についての記述からも分かる通り、どうやら僕は「勝つ」ことが好きなようである。というより「負けないこと」「その中で1番であること」を強く欲しているのだと思う。奮闘むなしく大体は2番だったりするのだが、とにかく「人の上に立つ」ことに恍惚感を覚えるのだろう。

小学校で魂が穢れたと思っていたが、わりと生後すぐに性格は決まっていたようである。

 

次はミニコーナー。なんと「ぼくたち・わたしたちの俳句」なる題で、俳句が詠まれていた。

 

 かめさんは いつもたまごを うみにくる

 

これは天才ではないだろうか。

生命の尊さ。自然界への警鐘。いつも同じであることの大切さ。涙を流すカメの情景。

一編の句に様々なものが詠み込まれている。驚嘆に値する才能である。その真意を掴ませないところも憎い。

 

そして最後に「将来のゆめ」。ここに僕の「三つ子の魂」が隠されている気がする。

 


大きくなったら


 ぼくは、けいさつになりたいです。どうしてかというとかっこいいパトカーにのれるしおかねもうけになるしテレビにだしてもらえるしゆうめいになるからなりたいです。

 

 

警察官になると有名になれるというより、当時の僕が知る最も有名な存在が「けいさつ」なだけである。

これでハッキリした。

僕には「有名になりたい」というミーハーな欲望が、生まれて間もなくオギャーと共に噴出していた。そして一定期間の噴火を経て、世間にもまれて地下に格納されたまま、今なお休火山の奥底にたぎるマグマがぐつぐつ煮えていて、ふたたび噴火のときを待っている。

僕は「そういう」人間であった。

 

こんな僕でも付き合ってくれる人たちがいるというのが不思議なものでもあり、ありがたいものでもあり。

ここに改めて感謝を述べさせていただきます。

ありがとうございます。

 

あと1回だけ、つづく。

7.ボクの名誉回復


よくもまあ自分の過去を引っ張り出して、バカだの天才だのと一人で騒ぎ立て、最後までお付き合いさせてしまい申し訳。

最後の最後に、意外にまともなことを書いていたことも紹介させていただいて、名誉の回復に努めたいと思う。

以下、町の「人権啓発児童作品・中学校詩の部」で銀賞(やっぱり2位…)をいただいた、一編の詩である。

 


バランス


ぼくはカマキリと育った
一度卵を手にして以来
カマキリに夢中になって時を過ごした
ぼくはカマキリが好きだった
目、口、手、足、羽すべて好きだった
だから幼い頃はよく飼っていた
そしてよくえさをつかまえて与えた
バッタ、コオロギなどがそれだ
ぼくはそれらが食べられる時、というより
カマキリがそれらをつかまえる瞬間を
箱をのぞいて楽しみにしていた

時は流れてぼくは中学生になった
もうカマキリにはかまってられない
しかしふと幼い頃を思い出した
「バッタやコオロギには悪いことをした。」
「この手で自然のバランスを変えたのでは。」
それはそれで別に悪くなかったと思う。
いずれは食べられるし過剰でなかったし
しかし彼らは自然の中で生かすべきだった
なぜなら彼らは自然の一部なのだから

人間だって同じだ
人間だって自然の一部なんだ
だからバランスが必要だ
みんながつり合わなければならない
だが今の人間社会はどうだ
過剰な差別でバランスがくずれている
民族、肌の色、性別、祖先の身分
そんなくだらない事に
こだわっててよいのだろうか
いや、そうじゃないはずだ
人間は自然の一部だ
バランスが大事なんだ
今一度、ぼくらのバランスを
とり戻そう。

 

 

僕の文集を巡る旅は、ここで幕を閉じたいと思う。

最後の詩が名誉の回復になったのかどうかは不明だが、とにかく過去にムチを打つ作業はここでおしまいにしたいと思う。

みなさんも、何かの拍子で結構です。そっと実家の押入れを開けて、過去の自分と向き合ってみてください。「明日」のヒントの欠片がきっと見つかると思います。

僕の場合、わりとストレートに胸をえぐられましたけど。

 

それでは、また。


2007.05.24
松岡厚志


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